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w closet×JUGEM

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

天童荒太『永遠の仔』

松山市立子規記念博物館にて2019年10月20日(日)に開催された『巡礼の家』刊行記念のトークイベント【天童荒太 ふるさとを語る】では、身を削るようにして書いてこられた天童荒太さんの創作の方法に心震え、また、各作品にこめられた願いに胸がいっぱいになりました。そのトークイベントの中で天童さんは、『巡礼の家』(松山)同様、愛媛が舞台となった小説『永遠の仔』について次のようなお話をされていました。

「人間が生きていくためには本能的、動物的な意味で『仔』としての親の愛情が必要で、あらゆる人が認めてもらいたいと願っている。肯定感を満たされると人は幸せを感じ、ほめられなかった飢餓感が辛い行動へと衝動的に走らせる。この辛い物語を成立させることができたのは、石鎚と双海という知っている空間や感覚が執筆を助けてくれたからだ。」

 

 

『永遠の仔』は、児童虐待を受けて育った小学生たちが出会う小児精神科での時間と、虐待の傷を抱えたまま再会した彼らの17年後の今とが交差するミステリーです。天童さんは、執筆の際には「没入してボロボロ泣きながら」書かれるのだそうですが、『永遠の仔』も、登場人物たちと同化する天童さんの心の高ぶりや、存在する一人一人の人間への愛情がダイレクトに伝わってくるような作品でした。ミステリーとしての筋を追っているというよりも、人間が生きるとは、罪とは、人の尊厳とは、といった問いを突き付けられているように感じながら読み続けました。

文庫版では、「読者から寄せられた言葉への返事として」のあとがきが記されています。「本来、小説家が作品以外でしゃべり過ぎるのは、よいことではありません」としながらも、「それでも答えておく義務というものが、この作品に関しては生まれていると感じ、長く書かせていただきました」とし、心を尽くした天童さんの思いがつづられています。心に傷を負う全ての人々に贈られる天童さんのメッセージは、人間愛に満ちたあとがきとなっていて、物語とともに一つの作品として味わいたいと感じました。

愛媛県人ながらまだ登ったことのない霊峰石鎚山にも、一生に一度くらいは登ってみたい! と思い始めました。

  • 2019.11.23 Saturday
  • 18:38

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

平野啓一郎『マチネの終わりに』

福山雅治×石田ゆり子主演で話題の映画『マチネの終わりに』の原作本です。「たった三度しか会ったことがなく、しかも、人生で最も深く愛した」大人の恋愛小説ということですが、個人的には、恋愛模様を描いた作品というよりは、ままならないすれ違いの恋愛に翻弄される男女それぞれが、一人の人間として自己肯定できる生き方を手に入れていく物語として読みました。

四十歳を目前にしたクラシック・ギタリストの蒔野と、国際ジャーナリストであり、有名な映画監督の娘である二歳年上の洋子。物語を貫くのは、蒔野と洋子が初めてあった時の蒔野のセリフです。

 

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるともいえるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものしゃないですか?」

 

 

「中高年になって突然、現実社会への適応に嫌気が差して、本来の自分へと立ち返るべく、破滅的な行動に出る」≪ヴェニスに死す≫症候群と自認する洋子は、一見、婚約破棄しても蒔野への愛を選ぼうとする自由な女性のように感じますが、実際は「理不尽で、もっと過酷な困難を生きる人々」を取材してきてPTSDの症状に苦しんでおり、「人生そのものに対する虚無感」を抱え、「どの道を選ぼうとも行き止まりはなく、それはそれとして異なる出口が準備されている迷宮の方が、遥かに残酷なのだと」考えような人物です。だからこそ、彼女は「洋子さんを愛してしまっているというのも、俺の人生の現実なんだよ。洋子さんを愛さなかった俺というのは、もうどこにも存在しない、非現実なんだ」と言ってくれる蒔野に惹かれたのでしょう。

二人のすれ違いの年月はあまりにももどかしく、動かしがたい運命のようにさえ感じてくるのですが、初めの蒔野のセリフが重低音のようにずっと鳴り続けていることによって、二人の今は、過去を変えてくれる今(という未来)を重ねているだけであり、「間違ってなかった」と現実を受け入れていく二人を必然と受け入れることができました。

結末の先は、読者によって解釈が広がりそうですが、人生は、未来はもちろん過去でさえ、自分の考え方次第で変わっていくものなのかもしれない…と信じたくなるような作品でした。

  • 2019.11.16 Saturday
  • 17:18

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

平野啓一郎『日蝕・一月物語』

平野啓一郎さんといえば、『マチネの終わりに』の映画化で話題ですが、ベストセラーの恋愛小説を読む前に先に平野さんの作品の感じが知りたくて、『日蝕・一月物語』を手に取りました。『日蝕・一月物語』は、平野さんが「ロマンティック三部作」と呼ぶ初期3部作のうちの2編で、どちらも擬古文的独特の文体で書かれていますが、それぞれの時代を映すために時代に即した文体が選ばれていて、「日蝕」(中世ヨーロッパ)よりも、「一月物語」(明治三十年)の方が読みやすくなっています。

 

 

第120回芥川賞を受賞したデビュー作の「日蝕」は、中世キリスト教世界における、異教哲学への関心をもちながら、異端を取り込んだ新しい神学の構築を胸に抱く神学僧・二コラが主人公です。彼が旅の中で出会っていく、「錬金術師」「両性具有者」、そして、「魔女焚刑」の場に起こった「日蝕」と「賢者の石」。異教を「太陽の所為(せい)」と考えていた二コラが、「日蝕」の際に得た世界との一体感を思う時、最終的に「錬金術」の作業に就き、「一刹那一刹那に、或る奇妙な確信を以て世界の渾てと直に接していると感じている」結末は必然であるように感じました。

錬金術の把握の仕方に、「錬金術で生み出した物質ではなくて、その『作業における心理学的な過程に注目』」するユング心理学的視点を感じさせられる小説でもありました。

 

「一月物語」も、主人公が自分の追い求めていたものを、本来とは違ったものではありながら、結果的に自身の納得する形で手に入れていく主人公が描かれる意味では、「日蝕」と同テーマともいえる作品でした。

明治という時代で「自己」を手に入れ、「奈何なる形を以て己の情熱を成就させるべきか」を問う若き詩人・井原真拆が、浦島伝説の竜宮にも比せられる、夢か幻か分からないような場所に迷い込み、「ラッヴ」という「愛したいという情熱」を手に入れ、「超越的な存在と一体化する」までが、耽美的に描かれていきます。

「一刹那にのみ、忽然と存在して消える」盲人の世界に「幸福」を思い描いていた真拆にとって、見つめると殺めてしまう見毒を持つ夢の女・高子の存在も象徴的です。高子との「予告される未来を持たない一個の絶対の瞬間。独り肉体によってのみ、行為によってのみ、導かれるその瞬間」によって、彼は絶対的な自己を手に入れ、魂と共に昇華されたのでしょう。

  • 2019.11.09 Saturday
  • 22:02

実践報告・お便り

続・オーサー・ビジット2019 in 福岡女学院高校

「オーサー・ビジット2019 in 福岡女学院高校」にて、副会長の句会ライブレポートを紹介しましたが、続編としまして、同校数学科の松崎亮先生が担当されているクラスの「学級通信」をご紹介いたします。

松崎先生は、これまで全く俳句にかかわったことがなっかったそうで、初めて俳句に出会った体験をリアルにまとめてくださっています。

 

(画像をクリックすると、PDFファイルでご覧いただけます)

 

また、福岡女学院高校の谷口奈々美先生からは、

 

オーサービジットのおかげさまで、これを手始めとして、来月から有志で、月一回の放課後句会を始めることとなりました。

生徒達に火がついて、いつき先生からご伝授いただいたことを使ってさらに作品を書きたいとのこと。

自由に句会をして、「NHK」や「松山俳句ポスト365に投稿しようというくらいの軽いのりで長く続けてはどうか? ということが決まりました。

まずは放課後のラーニングカフェの続きとしてやってみます。

 

とのお便りも頂いております。

 

これまでも、ラーニングカフェやクラス句会など様々な実践を重ねてきた福岡女学院高校で、オーサー・ビジットで火の付いた生徒さんたちのがどのように活動していくのか、たいへん楽しみです。これからも、ご報告をお待ちしております。

  • 2019.11.04 Monday
  • 18:50

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

恩田陸『蜜蜂と遠雷』『祝祭と予感』

2017年の直木賞&本屋大賞ダブル受賞作『蜜蜂と遠雷』が映画化で話題ですが、スピンオフ短編小説集『祝祭と予感』も刊行されています。

ピアノコンクールを描いた『蜜蜂と遠雷』は、奏者の演奏する曲がBGMとして脳内で再生される中で、登場人物の高揚感や達成感に共感していくので、読者も否応なしに盛り上がり、心地よいカタルシスが得られるような作品です。実際、何度もウルウルさせられました。音楽への愛がテーマともいえる小説で、エンターテインメントの要素も一面的でなく、芸術に携わる者の側面や書き込まれていて懐が深く、直木賞と本屋大賞は、それぞれに別の部分を評価したのだろうなと感じた小説でした。

 

 

スピンオフ短編集『祝祭と予感』は、『蜜蜂と遠雷』の結果が気になる読者の期待に応えるかのように、コンクール後の亜夜・マサル・塵の三人のエピソード「祝祭と掃苔」から始まります。審査員ナサニエルと三枝子の出会いの「獅子と芍薬」、課題曲「春と修羅」の誕生譚「袈裟と鞦韆」、ナサニエルとマサル師弟の物語「竪琴と葦笛」、ヴィオラ奏者・奏が主人公で亜夜と塵も登場する「鈴蘭と階段」、と続いていき、読者が一番待っていたであろう塵とホフマンの出会いを描く「伝説と予感」で閉めくくられます。「祝祭」から「予感」へと、物語の時間が逆に流れていくのも乙な構成の短編集でした。

映画では、課題曲「春と修羅」が演奏され、4人それぞれのカデンツァ(即興演奏)も盛り込まれているそうで、気になってしまっています。

  • 2019.11.02 Saturday
  • 08:25