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w closet×JUGEM

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』

朝井リョウさんの新刊は、『小説BOC』1〜10号に連載された、8作家による競作企画「螺旋プロジェクト」の中の一作品。3つのルールに従いながら、古代から未来までの、日本で起こる「海族」と「山族」の対立構造を描くプロジェクトの「平成」編が、『死にがいを求めて生きているの』です。もちろん、本作もプロジェクトのルールの中で物語は進んでいくのですが、やはり朝井リョウ色は顕著で、平成に生きる人々を描きながら、何らかの対立の中から逃れられない人間存在というものが、哀しくも静かに激しく、また希望の眼差しでもって描かれていきます。

 

(写真は中央公論新社HPより)

 

ちょっとした違いが溝を産み、そして集団を作り、生まれていく対立、そして大きくなっていく争い。個人個人の日常の生活では、全く関係の無いと思えるような「対立」が,、実は常に私たちの身近にあることにハッとさせられます。

自己存在を示すために敵を作りながら生きていく堀北雄介と、人を分断しない生き方をしたいと願う南水智也。

二人の身近にいる人々、そして、智也自身の視線から、二人が何層にも描き出されていくのですが、最終的に書かれずに終わるのが雄介視点の物語です。破壊的な側面ばかりが浮かび上がってくる雄介ですが、あえて、強硬さの裏に隠れている誰よりも傷つきやすい雄介の物語が書かれないことによって、結末の智也の物語の中での、弱さを受け入れる強さをもった智也の「絶対」という言葉が予感させる力が際立ってくるように感じます。

「死ぬまでの時間を生きていい時間にしたい」雄介とは、この世に存在し続ける対立の円環から逃れられない私たち読者自身でもあるのでしょう。読者はそれぞれに、その後雄介に用意されるだろう甘くはない救済の物語を想像すると共に、螺旋のように続く対立の連鎖の中に生きる読者たちへの作者からの祈りにも似たメッセージを受け取るのに違いありません。

 

 

この後、7月まで螺旋プロジェクト作品は続々と刊行予定のようです。各作品で「海族」と「山族」の対立構造から何が描き出されているのか。また、それぞれにどう繋がっていくのか。読み比べることによって、よりそれぞれの作者の色が見えてきそうです。

  • 2019.03.17 Sunday
  • 16:25

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

沼田まほかる『ユリゴコロ』

1月に紹介した沼田まほかるさんの作品『彼女がその名を知らない鳥たち』が、単なるミステリーに留まらず、綺麗事ではおさまらない人間たちを丁寧に描いていて、なかなか興味をひかれたので、再度彼女の作品を手にとってみました。

殺人に取り憑かれた人間の、これまでの生々しい殺人を告白したノート「ユリゴコロ」を巡る物語で、ノートを見つけた亮介を主軸に、ノートの内容が明かされると同時に、彼を取り巻く人間関係のありようがオセロのようにひっくり返されていく驚きのミステリーです。

 

 

書名でもある「ユリゴコロ」は、ノートの著者が“心の寄り何処”というような意味で使った言葉です。初めは殺人が唯一の心の拠り所であるという意味の「ユリゴコロ」でしかないのですが、物語が進むに従って読者は、それぞれの登場人物たちの人を愛することを生きる拠り所とする「ユリゴコロ」を見せられてしまっている作品となっていきます。血なまぐさい殺人がいくつも織り込まれながらも、読後感にそれほど後味の悪さを感じないのは、人を愛することを「ユリゴコロ」とする登場人物たちを、読者が嫌悪しきることができないからなのでしょう。数々の殺人が社会的に罰せられないところに物足りなさを感じる読者もいるかもしれませんが、(『彼女がその名を知らない鳥たち』も罰のない作品だったこともあり、)作者にとっては、無償の愛や許しのようなものを描くことが主眼なのかなと感じました。

『ユリゴコロ』は2017年に映画になったようですが、原作にかなりアレンジが加えられているとかいないとか…。さて、どう料理されているのか…、そちらも観てみたくなりました。

  • 2019.03.09 Saturday
  • 11:14

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

チョン・セラン『アンダー、サンダー、テンダー』

『今、何かを表そうとしている10人の日本と韓国の若手対談』の、朝井リョウさんとチョン・セランさんの対談でも取り上げられていた作品です。オビには、「隣国の小説家が描き出す、少年少女の両目に写り得るもののすべて。その世界の手触りに、ここめで共鳴するとは。」との朝井リョウさんの推薦文が載せられています。

訳者・吉川凪さんのあとがきに、「アンダー、サンダー、テンダー」というタイトルに込めた意味を作者に尋ねた答えが載せられていました。

アンダーエイジとは、資質や才能、癒すべき傷、優れていたり、劣っていたりする部分がまだはっきり表に現れていない年齢のことです。自分なりの何かを見つけようと挫折を繰り返すアンダードッグ(負け犬)のようなニュアンスもあります。サンダーエイジは、私のつくった言葉で、文字通り稲妻のような年頃です。十代で経験することはすべてにおいて圧倒的であり、音楽も十代で聴けば切実に感じられるし、雨に降られても体中の細胞がすべて反応するような気がするでしょう。そんな感覚の強烈さをサンダーと表現してみました。テンダーエイジは、あまりにも優しく柔軟でまだ固まっておらず、また自らを守れる年齢ではないために社会の暴力に無防備にさらされている十代を表した言葉です。

 

 

作品は、タイトルの解説にあるような十代の人間関係や出来事が真ん中に据えられているものの、十代がそのまま描かれて完結するのではなく、三十代となった主人公が十代の日々を振り返るという趣向です。また、主人公を取り巻く登場人物たちの群像劇ともなっていて、これまた大人になった彼らも登場してきます。唐突に挿入されていく、主人公(最終的に短編映画監督となる)の彼らを撮影した断片的動画の場面は、読み終わった読者にとっては、もう一度振り返らずにいられないものとなります。動画部分を通して追っていくと、今を生きる彼らが生き生きと立ち上がってきて、胸があつくなるという作りも劇的です。

失うことが全てであるかのような、何も手に入れられるものなどないような十代を送った主人公たちが、そんな現実の中にありながらも、自分自身として生きていく大人となっていく。何らかの形で周囲の人が関わることでしか人の一歩一歩はないのだな…と感じさせられる作品でした。

  • 2019.03.02 Saturday
  • 13:26

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

寺山修司『あゝ、荒野』

2017年公開の菅田将暉とヤン・イクチュンのW主演の映画『あゝ、荒野』の原作本が、寺山修司唯一の長編小説だと知り、迷わず手に取りました。

映画は、綺麗ごとでは済まされない現実を、暴力的といえる様々な要素を盛り込んだ設定の中で、俳優陣たちがリアルに演じた前後篇5時間の大作でしたが、それ故メッセージも多く、物語の収拾の仕方や解釈に考え込まされ、それがまた魅力の一つでもある作品でした。

 

 

原作の結末はまさに映画と同じですし、映画の背骨になったと思われる「誰かに責任をのこして、そいつとの結びつきのなかで死にたい」というメッセージもしっかり書かれているのですが、印象は少し違っています。当時流行の歌謡曲の一節や小説や詩のフレーズなどを散りばめられた原作は、あとがきにも「登場人物がどう動いてゆくか」を「即興描写で埋めて」いったとあるように、寺山自身が流れの中で登場人物を自由に動かし、私たち人間(読者)の、「荒野」(という現実)に生きるナマの感覚を呼び覚まそうとしているかのように感じました。映画では驚きで受けたとめた結末が、原作ではよりもの哀しいものに感じられたのも、呼び覚まされたナマの感覚のせいかもしれません。また、各章の初めにおかれた寺山修司の短歌も象徴的で、ストーリーとの距離感が絶妙です。

映画ならではの、登場人物の設定の変更や、作り込まれたエピソードの数々は、岸善幸監督が原作から受けとったナマの感覚で解釈し生み出された新しい「荒野」の世界だったのだな、と改めて感じました。

  • 2019.02.23 Saturday
  • 15:08

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

米澤穂信『さよなら妖精』

前々回、前回と、フリージャーナリスト「太刀洗万智」を主人公とする作品を読んでくると、書籍に初登場する高校生の彼女が気になって仕方が無くなってしまいました。というところで、引き続き米澤穂信さんの『さよなら妖精』です。

『さよなら妖精』は、「ボーイ・ミーツ・ガール・ミステリ」で、太刀洗万智はヒロインでもなく、準主役といった立ち所です。作品としては、日本を去ったヒロイン・マーヤの所在をつきとめようとする大きなミステリーを主軸に、彼らが日常で出会った些細な謎を解いていく(小さなミステリ−?)が散りばめられています。そして、それらの謎と立ち向かう高校生の主人公たちの中で独特の存在感と、探偵的心眼を持つ魅力的な人物として描かれているのが太刀洗万智です。

 

 

前回の『真実の一〇メートル手前』のあとがきの中で作者が、「正義漢」という作品が、『さよなら妖精』の太刀洗万智を大人にした物語を「時間も準備もない中でふと思いついた」ものであり、そこから記者太刀洗万智の作品群が生まれていったという経緯を書いていましたが、『さよなら妖精』を読み、ヒロインでもないのに際立つ太刀洗万智の存在感に触れてしまうと、限られた時間しかない作者が、ふと彼女を書きたくなったのは必然だったのだなと納得させられました。

そしてまた、『真実の一〇メートル手前』の「正義漢」と「ナイフを失われた思い出の中に」が、いかに『さよなら妖精』ファンを喜ばせるもので、作者の読者サービスであったかにも驚かされました。偶然に『王のサーカス』→『真実の一〇メートル手前』→『さよなら妖精』の順で出会った太刀洗万智でしたが、出会い方としてはベストの順番だった気がしています(笑)

  • 2019.02.16 Saturday
  • 17:07