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w closet×JUGEM

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

西村賢太『苦役列車』

前々回の備忘録『きことわ』と同時に、第144回芥川賞を受賞した作品です。

第144回芥川賞では、文学界のサラブレッド一家の20代女性・朝吹真理子さんと、中学卒業後日雇い労働で生活してきた40代男性・西村賢太さんという対照的な作者が受賞したことでも話題になりました。二人の特別対談は、shinchoLIVEで、記事や動画として公開されています。

西村賢太さんは、「私小説」作家として執筆をつづけられていて、受賞の前も後も変わらずに、西村賢太さん自身を投影した北町貫多を主人公とした物語を発表されています。もちろん、受賞作品の「苦役列車」も、併録の「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」も北町貫多が登場します。

 

 

「苦役列車」は、父親が性犯罪の犯人として逮捕され、住居を転々とせざるを得ない少年時代を過ごし、中学卒業後、日雇い労働で生活してきた貫多の19歳の物語です。貫多は、埠頭の冷凍倉庫で、ただベルトコンベアーにのせられたような苦役を続けながら、人足である自分を「奴隷」「囚人」だととらえています。

「かかえてるだけで厄介極まりない、自身の並外れた劣等感より生じ来たるところの、浅ましい妬みやそねみに絶えず自我を侵食されながら、この先の道行きを終点まで走ってゆくことを思えば、貫多はこの世がひどく味気なくって息苦しい、一個の苦役の従事にも等しく感じられてならなかった」

とは言え、どうしようもない日常でありながら、主人公(や西村さん自身)にとって小説家としての将来につながる藤澤清造の小説との出会いが用意されているあたりに、希望を感じました。また、私小説家となった後年の貫多を描いた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を個人的に面白く感じたもので、他の年代の貫多が気になってしまい、北町貫多シリーズを読んでみたくなっています。

石原慎太郎さんとの対談などを拝見すると、西村さんご自身が「私小説」作家であることにかなり拘っていて、とにかく正直に書くことを大切にされている作家さんのようなので、シリーズとして見えてくる貫多、そして小説家西村賢太さんに興味をひかれています。

  • 2020.03.21 Saturday
  • 16:11

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

朝井リョウ『発注いただきました!』

デビュー10周年を迎えた朝井リョウさんの最新刊『発注いただきました!』

これまでに、企業とのタイアップや他の作品とコラボして書いた文章を集めた作品集なのですが、「はじめに」で以下のようにコンセプトが示されています。

 

作品をそのままずらりとコレクションしただけではあまりに詐欺めいているので、それぞれ、【(1)どんな発注を受けて書いた作品なのかを提示(テーマ、枚数など)】→【(2)作品】→【(3)発注にどう応えたのか、答え合わせ】という順番で掲載すれば、全体の構造として(主に私が)より楽しめるのではないか、と考えた。この一冊を読み終えたころには、皆さまにも、タイアップ作品二十本ノックをやり終えた感覚を味わっていただけることだろう。そもそも味わいたいかどうかは別にして。

 

 

一番のオススメは、やはり新作の「贋作」です。

贋作が贋作であり続けるために、装うことで何かを傷つけていくという真実。そんな贋作を贋作と見破るものもあれば、見破れずに贋作を愛でるものもある。しかし、真実を手にいれたからと言って人は救われるのではないし、贋作から救われる人もある。どちらも世の中に確かに存在している事実だけがあるのであって、何が誰にとっての救いとなるのかなんて分からない…。

進化しつつ、また、朝井リョウ的毒は変わらない、そんな10周年記念短編でした。

 

 

朝井リョウさんのファンとしては、書籍化されているものについては既読のものもあったのですが、キャラメルやビールなどの商品購入で読むことのできる、短い連作小説などはこの試みでもないと手に取ることができなかったので、嬉しい10周年企画でした。とはいえ、『ノベルアクト2』掲載の小説などは掲載されていなかったので、許可取りなどの関係で収められなかった作品がまだ残っているのでは…!? と気になってしまいました。(笑)

  • 2020.03.08 Sunday
  • 14:19

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

朝吹真理子『きことわ』

第144回芥川賞受賞作品。タイトルは、二人の主人公の貴子(きこ)と永遠子(とわこ)からと想像できます。少女時代に二人が過ごした濃密な時間が、永遠子の夢として読者に提示されながら、25年後の思い出の別荘を処分することとなった二人におとずれた再会の時間が重ねられていきす。

終始、夢の中の時間にあり続けているような、浮遊し続けているような不思議な作品でした。永遠子の夢と、夢ではない確かな25年後の現実が織り交ぜられているようでありながら、現実と思われる時間軸の中でも、ありえないような目撃情報のエピソードがあったり、さっきまで満月だった月が新月になっていたりと、説明のつかない不思議なことが、当たり前のようにサラリと書き込まれていきます。また、永遠子が古生代の生き物に興味をひかれる人物なのも象徴的で、大きなとてつもない時間だけがそこにあるような気もしてきて、どこまでが現実なのか、作者は現実的な何かを描くつもりがあるのか…、いったい何を…と引きずられながら読んでいったような読書体験でした。

 

 

中でも特に気になり続けたのが、髪を何かに強く引っ張られる感覚が三度も描かれているところです。

・少女時代の貴子が、屋根瓦から落ちそうになった時、頭髪の痙られた感触が残るくらい強く引っぱられた。

・廊下で本を運んでいた貴子の頭髪が、なにかに引きつかまれ、廊下の闇へと引っ張られ、闇にもっていかれそうになり、何とか振りほどいた。

・帰り道の永遠子が、突然遮断機の前で髪の根がひきつかまえられて、ぐらりと後ろに倒れた。

二人ともに、髪を引っ張られてその後尻もちをついているのですが、彼女らを引っぱったものが何だったのか明かされることはなく、(作品全体が夢のような漠然としたものであるならば、回収する必要もないのでしょうが、夢ならばなおさらに、)このしっかりと残る感覚が何なのか、気になって仕方がなくなりました。きっと、25年前の夏の二人が、身長も髪の長さも同じくらいで、後ろからは見分けがつかず、お互いの髪をとかそうとすると、よくからませていたり、背中合わせで眠る二人の髪と髪が、ひとつなぎの束のように見えたとの髪の描写が印象的だったりしたので、「後ろに引っ張られる髪」に意味があるように感じてしまったのかもしれません。ともかく、読者としては(も!?)、後ろ髪を引かれるような感覚を残された作品でしたが、もしかすると朝吹さんは、この答えのない感覚を描こうとしていたのかもしれません。

  • 2020.02.23 Sunday
  • 13:24

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

吉田修一『続横道世之介』

柴田錬三郎賞受賞作品で、2012年に映画化された『横道世之介』の続編です。前作では18〜19歳だった世之介の6年後、一年留年して大学を卒業したものの、バブル最後の売り手市場に乗り遅れ、バイトとパチンコで食いつないでいる世之介の前に訪れてくる人々との一年間が描かれます。

 

 

『横道世之介』が、世之介と彼にかかわる人々のその後の挿話という二重構造になっていたのと同様に、24〜25歳の世之介と世之介を取り巻く人々と、27年後の2020年、東京オリンピック最中のその後の彼らの現在とが交錯していきます。

それにしても、世之介は変わらない。もちろん、モラトリアム期間の大学生とは違って、責任感を必要とする人間関係が表れてくるので、その中での世之介の成長はあります。しかし続編でも、「良い人そうに見えるが極端に頼りない」ままです。とはいえ、やはり「役に立たなくてもいいから、誰かそばにいてほしいとき」にいてほしい人であり、「ここからいくらでもスタートできるな」「きっと何もかもが良い方向に進んでいくはずだと思わせてくれる」人であり続けます。

 

 

前作で読者に突き付けられた、世之介のなんともやるせない結末が変わることはありませんし、そこに甘くない現実を見ることもできるのですが、続編で描かれた世之介にかかわった人々の27年後を思う時、「善良であることの奇跡」を体現した世之介の物語は、ある種、殺伐とした現代のメルヘンなのかもしれないなと感じました。

  • 2020.02.11 Tuesday
  • 19:00

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

藤村忠寿・嬉野雅道『仕事論』

6年ぶりの待望の新作が放送中で盛り上がっている、北海道テレビ(HTB)の人気バラエティ番組『水曜どうでしょうHow do you like wednesday?』。実は私も、今回の新作に喜んでいるファンの一人で、新作公開前のインタビュー記事を読んで楽しみにしていました。

1996年にスタートし2002年までレギュラー放送され、その後不定期に公開されている『水曜どうでしょう』の出演者は、現在では俳優として引っ張りだこの大泉洋さんと、ミスターこと鈴井貴之さんのタレント枠2人に、藤やんこと藤村忠寿さん&うれしーこと嬉野雅道さんの同行ディレクター2人の4人です。出演者の掛け合いや、大泉さんのボヤき、トラブルをそのままネタにするアクシデントの数々が楽しい番組で、全国で再放送されたり、DVD化されたりしています。その2人の名物ディレクターが「働き方」の本質を語ったのが『仕事論』です。オビには、「やりたいことで結果を出すための『自分勝手』な思考法」と書かれています。枠にとらわれない斬新な超人気番組を作ったディレクターが、会社員としての立場から仕事をどう語るのか、興味津々で手に取りました。

 

 

藤村さんと嬉野さんが交互に語っていく形式で進められていくのですが、ただ闇雲に頑張れという立場ではなく、安請け合いをしない、深く考えれば無茶な指示は断れる、など、番組制作体験を例に引きながら、独特の「仕事論」が展開されていきます「『自分たちが面白いと信じること』をやり続けてきた」だけで、「テレビ番組を作っているという意識がない」と言いながらも、そこでひかれる以下のたとえ話を特に興味深く読みました。

一般に、新しいグラスをつくることになった場合、普通は今の流行を考えたり、次の流行を予測して作ろうとする。しかし、二人の場合は、グラスじゃなくて皿を作ってもいいんじゃないかと考えて、自分たちが作りたい皿を作る。とはいえ、自分たちの皿の魅力を見極める必要はあって、自分たちの長けている能力を使った皿をつくらなければならない。できたものに意見を言われても、その意見の箇所に狙いはないのだから、気にする必要はない。「『世の中で求められているもの』を作り出そうってことは、一切考えたことがありません。自分たちが絶対に面白いと思うものを作れば、良いものが出来上がるんだという確信があります。(略)やれと言われたことを無視するほどの思いで作ったわけですから、おのずとクオリティも高くなるはずなんです。」と。

「社会はどこまでいっても、人、人、人」というスタンスに立ち、「私たち人間が一番好きな対象が人間」であるからこそ、視聴者は「『他人がどんな考えをもっているか』に強い興味を抱」いてテレビに耳を傾ける。「人間が作る以上、目指しているのは他者との交流」であると言い切る本書。「『自分』の尺度でものを言」い、「成功や失敗という結果より、やってみることの方が人生には大事」という『仕事論』は、仕事にかかわらず、人生をより豊かに自分らしく生きるために背中を押してくれるような一冊でした。

  • 2020.02.01 Saturday
  • 17:22

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

トーマス・マン『ベニスに死す』

平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』で、気になり読んでみたくなっていたのがトーマス・マンの『ベニスに死す』でした。ヴィスコンティ監督の映画(未鑑賞)でもよく知られる『ベニスに死す』ですが、『マチネの終わりに』では、「中高年になって突然、現実社会への適応に嫌気が差して、本来の自分へと立ち返るべく、破滅的な行動に出る」ことが《ヴェニスに死す》症候群と定義されていました。

個人的にあまり翻訳物が得意でないこともあり、どの訳者のものを手に取ろうかと悩むところから始まりましたが、青空文庫で実吉捷郎訳が読めることもあり、集英社文庫の圓子修平訳を手に入れました。淡々として状況がつかみやすいのが圓子修平訳で、詩的で主人公の感慨によりそっているのが実吉捷郎訳といった印象で、圓子→実吉訳と重ねて読んでいくと、トーマス・マンのやりたかった世界に読者も近づきやすいのかなと感じました。にしても、とにかく一文が長い!かなり苦労してしまいました。

 

 

高名な初老の作家アシェンバハは、ある日旅の誘惑に駆られ、ヴェネツィアへと旅立つ。そこで彼が出会ったのは、神のごとき美少年タジオだった。その完璧な美しさに魅了された作家は、疫病が広がり始めた水の都の中、夜となく昼となく少年のあとをつけるようになる…。(集英社文庫・背表紙より)

 

老いた芸術家が我を忘れ、死さえも厭わない美への憧れ。主人公の美少年への恋慕のようなもの(読者によって、好悪様々に受け取り方がありそうですが)が、成就させる類のものでないことによって、破滅的な結末も芸術家のある種の昇華であり、救いとして描かれているのかなと思いました。映画の評価も高いようで、ヴィスコンティ監督ならではの「美」という芸術の解釈となっていそうなので、観てみたくなっています。

  • 2020.01.18 Saturday
  • 22:25

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

天童荒太『ムーンナイト・ダイバー』

10月に参加した「『巡礼の家』刊行記念イベント【天童荒太 ふるさとを語る】」のイベントで印象的だった話の一つが、『ムーンナイト・ダイバー』制作秘話でした。天童荒太さんは、4年たって被災地を訪れた時に、年月とともに復興という明るい報道へと変わっていく中にあって、そうではない人がいる現実につきあたり、言葉では言い表せないショックで呆然とされたとのこと。そして、「『悼む人』を書いた人間として」何ができるのかと問い、「失われたものがどれだけ尊いか」を書こうとしたのが『ムーンナイト・ダイバー』なのだそうです。

 

 

震災で兄を亡くしたダイビングのインストラクター・舟作は、立入禁止のフクシマの海域に潜って海底に残された遺品を探し出す仕事を請け負っています。しかし、彼の仕事は非合法のため、明るい月の出ている夜しか潜ることができません。罰せられるかもしれない危険をおかしながら、周作がなぜ潜るのか。そこに、親しいものが行方不明のままで先に進むことができず、せめて何らかの印をほしがっている依頼者グループの人々の思いが交錯していきます。

自分が生きていることの後ろめたさを抱える舟作。なぜ災害が起こったのか? なぜ自分が残ったのか? 不公平な中で、なぜ人は生きていかなければならないのか? 自分が果たさなければならない役目とは? 舟作の問いは、生かされている私たち読者それぞれの問いでもあり、また、私たち自身が舟作と共に問われている、そんな作品でした。

  • 2019.12.29 Sunday
  • 13:10

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

奥田瑛二『男のダンディズム』

男のVシリーズの中から、俳優としても、映画監督としてもご活躍の奥田瑛二さんの『男のダンディズム』を。

「一人の男が、自分の中で完結させるべきもの」が「ダンディズム」であり、男の優柔不断で投げやりな、情けない部分も、時代の流れの中で試行錯誤しながら生きる「クール」な姿だと語っていきます。どこまで自信を持った人生を歩んでいけるか、人を輝かせ強くするダンディズム論が奥田節で述べられます。

 

 

そして、50歳から新たに映画監督の道を進み始めた奥田さんにかかると、「老い」は「人生を走り続けるために費やしてきた燃料の、残量切れを意識するとき」となり、そこからさらに進もうとする人には「最高級ハイオクガソリンと、ターボ搭載エンジンがプレゼントされ」、「まったく違う風景を楽しみながらの快適な旅が待っている」ということになります。

また、役に憑依されたようになり、自分と役がぴったり合うところをこえて120%になるくだりなどは、役者ならではの感覚を覗くことができて大変興味深いところでした。しかも、その高揚感万能感の域が役になりきることなのではなく、演技に客観性を生むためには95〜97,8%のところまで戻していく必要があり、それが役になりきった状態だという説明には驚き、また納得させられました。

さらに、映画のフィルムが水を通して生まれる様子を、胎児の誕生になぞらえているのも映画監督ならではで、その過程で「魂」を入れ「産み落と」していくという表現からは、映画への愛が伝わってきました。映画に必要なものとして「湿り気」をあげ、それを「感動」と言い換える奥田さん。結局それは、私たち全ての人間にとっても必要な生活の、そして精神の潤いなのだろうと感じさせられました。

 

人の心の中に深く入り込んでいって、そこから浮き上がるものを、僕色に染めていく。作品を撮る以上、そういうものでないと意味がない。社会的なテーマを持った作品世界の中で、登場人物たちはそれぞれの人生をうごめいている。その軋轢、摩擦、いろんな感情の中で愛を表現していく。

作品の中にも、いろんな愛がある。それは、遠大なものから小さなもの、さらにピンポイントのものもあって、それらをエピソードとしていくらでも組み込んでいけばいい。これらを、自分の経験値の中で、一つひとつしっかり作っていく。そのバランス感覚は、映画を作る上で欠かせない。僕は、そういう大きな流れの中で、人間を描いていく作品を撮りたいのだ。

  • 2019.12.21 Saturday
  • 20:26

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

ロバート・フルガム『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ 決定版』

私が初めて『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』という書籍の存在を知ったのは、山田詠美さんのエッセイ『再び熱血ポンちゃんが行く!』でした。その後、「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ(幼稚園クレド)」のメインの部分は、単行本の裏表紙でも目にし、印象に残っていました。次男の幼稚園の卒園式で母たちで何か朗読を…という話になった時も、このクレドのメイン部分を選んで皆で朗読した思い出もあります。

ですから、前回の『文學界』特集名「恋愛に必要な知恵はすべて山田詠美から学んだ」を見た時、これはこの機会に『決定版」をきちんと読みなさい! との啓示のように感じてしまいました。20年以上たってやっと、気になっていた書籍にちゃんと出会うことができました。

 

 

「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」のならば、では、「幼稚園を出てからは、何も学ばなかったのですか?」と問いたくなるのは当然。この問いに対する「報告書」がこの書籍なのだそうです。筆者は幼稚園以降、「時間と経験だけが教えてくれること」を学び、「時間と経験に理解力を養われて、はじめて出逢える教師がいること」を学んだと言います。

本書の中で、私が個人的に好きだったところをつなげて、勝手にこの一冊を表現すると次のような感じでした。

「人間はやはり、知識を求め、物を考え、疑問を懐いて、はじめて人間である。」だからこそ、「自分は今、何を知っているだろうか?」と問い、「若い心を持ち続け」、必要な「歓び」を見つけて生きていく。「人間は生涯を通じて、必ずそれとは知らずに何かを社会に残し、代わりに何かを取っていく。」「人はみな、どこかで誰かの役に立っている。」「自分で思っている以上に、なくてはならない存在である。」

書籍の最後のエッセイ「反省」に、例の「〈幼稚園のクレド〉」に加える8箇条があげられていました。「何事も、遠くからの方がよく見える。」から始まるこの8箇条が、まさにこの一冊を象徴的に表しているようで、クレドと合わせて読みたい一節だと感じました。

「『彼ら』という存在はない。『われわれ』がいるだけだ。」

  • 2019.12.14 Saturday
  • 19:53

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

山田詠美『ファースト クラッシュ』

高校生の頃から山田詠美さんを愛読しているのですが(直木賞受賞で詠美作品と出逢いました)、11月号の『文學界』の特集が「恋愛に必要な知恵はすべて山田詠美から学んだ」だと知って思わず手に取りました。読んでみると、新刊『ファースト クラッシュ』を記念しての特集で、そうなるとやはり読まない訳にはいきません。…というところで、順調に(笑)新刊にたどり着きました。

 

 

『ファースト クラッシュ』は「初恋」のこと。「ファースト ラヴ」のイメージとは違う「相手の内なる何かを叩き壊したいという欲望。まさに、クラッシュな行為」である「初恋」が描かれていきます。

物語は、(五十歳前後になった)高見澤家の三姉妹が、それぞれの思春期を回想する三部構成です。そして、麗子・咲也・薫子の三姉妹の「ファースト クラッシュ」の相手となるのが、高見澤家に引き取られてきた新堂力という母を亡くした身寄りのない魅力的な少年です。この少年は、三姉妹の父の愛人の連れ子で、そこに、夫の愛人の子を引き取る三姉妹の母が、これまた何とも言えない存在感で絡んでいきます。高見澤家の女性4人と、それぞれ全く違う人間関係を結んでいく力。

「憐憫」という感情を真ん中に据え、様々に変化していくいびつな愛情が4者4様に、いや、力を加えて5者5様に表れてきます。また、島崎藤村・中原中也・寺山修司の詩が織り込まれていくなどなど、読みどころはたくさんあるのですが、なんといっても、どんでん返しとも違う驚きと心地よさを感じさせてくれるラストが秀逸です! 全ての登場人物たちの感情が昇華されるような結末に、それまでのストーリー展開からは想像できなかった、まさかの涙がこぼれてきて、自分でも驚きました。山田詠美さんに、読者の心もクラッシュされること間違いなしの作品です。これ以上は語れません…。ぜひ読んでみてください。

  • 2019.12.07 Saturday
  • 20:23