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備忘録〜個人的・書籍の感想〜

トーマス・マン『ベニスに死す』

平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』で、気になり読んでみたくなっていたのがトーマス・マンの『ベニスに死す』でした。ヴィスコンティ監督の映画(未鑑賞)でもよく知られる『ベニスに死す』ですが、『マチネの終わりに』では、「中高年になって突然、現実社会への適応に嫌気が差して、本来の自分へと立ち返るべく、破滅的な行動に出る」ことが《ヴェニスに死す》症候群と定義されていました。

個人的にあまり翻訳物が得意でないこともあり、どの訳者のものを手に取ろうかと悩むところから始まりましたが、青空文庫で実吉捷郎訳が読めることもあり、集英社文庫の圓子修平訳を手に入れました。淡々として状況がつかみやすいのが圓子修平訳で、詩的で主人公の感慨によりそっているのが実吉捷郎訳といった印象で、圓子→実吉訳と重ねて読んでいくと、トーマス・マンのやりたかった世界に読者も近づきやすいのかなと感じました。にしても、とにかく一文が長い!かなり苦労してしまいました。

 

 

高名な初老の作家アシェンバハは、ある日旅の誘惑に駆られ、ヴェネツィアへと旅立つ。そこで彼が出会ったのは、神のごとき美少年タジオだった。その完璧な美しさに魅了された作家は、疫病が広がり始めた水の都の中、夜となく昼となく少年のあとをつけるようになる…。(集英社文庫・背表紙より)

 

老いた芸術家が我を忘れ、死さえも厭わない美への憧れ。主人公の美少年への恋慕のようなもの(読者によって、好悪様々に受け取り方がありそうですが)が、成就させる類のものでないことによって、破滅的な結末も芸術家のある種の昇華であり、救いとして描かれているのかなと思いました。映画の評価も高いようで、ヴィスコンティ監督ならではの「美」という芸術の解釈となっていそうなので、観てみたくなっています。

  • 2020.01.18 Saturday
  • 22:25

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

天童荒太『ムーンナイト・ダイバー』

10月に参加した「『巡礼の家』刊行記念イベント【天童荒太 ふるさとを語る】」のイベントで印象的だった話の一つが、『ムーンナイト・ダイバー』制作秘話でした。天童荒太さんは、4年たって被災地を訪れた時に、年月とともに復興という明るい報道へと変わっていく中にあって、そうではない人がいる現実につきあたり、言葉では言い表せないショックで呆然とされたとのこと。そして、「『悼む人』を書いた人間として」何ができるのかと問い、「失われたものがどれだけ尊いか」を書こうとしたのが『ムーンナイト・ダイバー』なのだそうです。

 

 

震災で兄を亡くしたダイビングのインストラクター・舟作は、立入禁止のフクシマの海域に潜って海底に残された遺品を探し出す仕事を請け負っています。しかし、彼の仕事は非合法のため、明るい月の出ている夜しか潜ることができません。罰せられるかもしれない危険をおかしながら、周作がなぜ潜るのか。そこに、親しいものが行方不明のままで先に進むことができず、せめて何らかの印をほしがっている依頼者グループの人々の思いが交錯していきます。

自分が生きていることの後ろめたさを抱える舟作。なぜ災害が起こったのか? なぜ自分が残ったのか? 不公平な中で、なぜ人は生きていかなければならないのか? 自分が果たさなければならない役目とは? 舟作の問いは、生かされている私たち読者それぞれの問いでもあり、また、私たち自身が舟作と共に問われている、そんな作品でした。

  • 2019.12.29 Sunday
  • 13:10

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

奥田瑛二『男のダンディズム』

男のVシリーズの中から、俳優としても、映画監督としてもご活躍の奥田瑛二さんの『男のダンディズム』を。

「一人の男が、自分の中で完結させるべきもの」が「ダンディズム」であり、男の優柔不断で投げやりな、情けない部分も、時代の流れの中で試行錯誤しながら生きる「クール」な姿だと語っていきます。どこまで自信を持った人生を歩んでいけるか、人を輝かせ強くするダンディズム論が奥田節で述べられます。

 

 

そして、50歳から新たに映画監督の道を進み始めた奥田さんにかかると、「老い」は「人生を走り続けるために費やしてきた燃料の、残量切れを意識するとき」となり、そこからさらに進もうとする人には「最高級ハイオクガソリンと、ターボ搭載エンジンがプレゼントされ」、「まったく違う風景を楽しみながらの快適な旅が待っている」ということになります。

また、役に憑依されたようになり、自分と役がぴったり合うところをこえて120%になるくだりなどは、役者ならではの感覚を覗くことができて大変興味深いところでした。しかも、その高揚感万能感の域が役になりきることなのではなく、演技に客観性を生むためには95〜97,8%のところまで戻していく必要があり、それが役になりきった状態だという説明には驚き、また納得させられました。

さらに、映画のフィルムが水を通して生まれる様子を、胎児の誕生になぞらえているのも映画監督ならではで、その過程で「魂」を入れ「産み落と」していくという表現からは、映画への愛が伝わってきました。映画に必要なものとして「湿り気」をあげ、それを「感動」と言い換える奥田さん。結局それは、私たち全ての人間にとっても必要な生活の、そして精神の潤いなのだろうと感じさせられました。

 

人の心の中に深く入り込んでいって、そこから浮き上がるものを、僕色に染めていく。作品を撮る以上、そういうものでないと意味がない。社会的なテーマを持った作品世界の中で、登場人物たちはそれぞれの人生をうごめいている。その軋轢、摩擦、いろんな感情の中で愛を表現していく。

作品の中にも、いろんな愛がある。それは、遠大なものから小さなもの、さらにピンポイントのものもあって、それらをエピソードとしていくらでも組み込んでいけばいい。これらを、自分の経験値の中で、一つひとつしっかり作っていく。そのバランス感覚は、映画を作る上で欠かせない。僕は、そういう大きな流れの中で、人間を描いていく作品を撮りたいのだ。

  • 2019.12.21 Saturday
  • 20:26

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

ロバート・フルガム『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ 決定版』

私が初めて『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』という書籍の存在を知ったのは、山田詠美さんのエッセイ『再び熱血ポンちゃんが行く!』でした。その後、「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ(幼稚園クレド)」のメインの部分は、単行本の裏表紙でも目にし、印象に残っていました。次男の幼稚園の卒園式で母たちで何か朗読を…という話になった時も、このクレドのメイン部分を選んで皆で朗読した思い出もあります。

ですから、前回の『文學界』特集名「恋愛に必要な知恵はすべて山田詠美から学んだ」を見た時、これはこの機会に『決定版」をきちんと読みなさい! との啓示のように感じてしまいました。20年以上たってやっと、気になっていた書籍にちゃんと出会うことができました。

 

 

「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」のならば、では、「幼稚園を出てからは、何も学ばなかったのですか?」と問いたくなるのは当然。この問いに対する「報告書」がこの書籍なのだそうです。筆者は幼稚園以降、「時間と経験だけが教えてくれること」を学び、「時間と経験に理解力を養われて、はじめて出逢える教師がいること」を学んだと言います。

本書の中で、私が個人的に好きだったところをつなげて、勝手にこの一冊を表現すると次のような感じでした。

「人間はやはり、知識を求め、物を考え、疑問を懐いて、はじめて人間である。」だからこそ、「自分は今、何を知っているだろうか?」と問い、「若い心を持ち続け」、必要な「歓び」を見つけて生きていく。「人間は生涯を通じて、必ずそれとは知らずに何かを社会に残し、代わりに何かを取っていく。」「人はみな、どこかで誰かの役に立っている。」「自分で思っている以上に、なくてはならない存在である。」

書籍の最後のエッセイ「反省」に、例の「〈幼稚園のクレド〉」に加える8箇条があげられていました。「何事も、遠くからの方がよく見える。」から始まるこの8箇条が、まさにこの一冊を象徴的に表しているようで、クレドと合わせて読みたい一節だと感じました。

「『彼ら』という存在はない。『われわれ』がいるだけだ。」

  • 2019.12.14 Saturday
  • 19:53

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

山田詠美『ファースト クラッシュ』

高校生の頃から山田詠美さんを愛読しているのですが(直木賞受賞で詠美作品と出逢いました)、11月号の『文學界』の特集が「恋愛に必要な知恵はすべて山田詠美から学んだ」だと知って思わず手に取りました。読んでみると、新刊『ファースト クラッシュ』を記念しての特集で、そうなるとやはり読まない訳にはいきません。…というところで、順調に(笑)新刊にたどり着きました。

 

 

『ファースト クラッシュ』は「初恋」のこと。「ファースト ラヴ」のイメージとは違う「相手の内なる何かを叩き壊したいという欲望。まさに、クラッシュな行為」である「初恋」が描かれていきます。

物語は、(五十歳前後になった)高見澤家の三姉妹が、それぞれの思春期を回想する三部構成です。そして、麗子・咲也・薫子の三姉妹の「ファースト クラッシュ」の相手となるのが、高見澤家に引き取られてきた新堂力という母を亡くした身寄りのない魅力的な少年です。この少年は、三姉妹の父の愛人の連れ子で、そこに、夫の愛人の子を引き取る三姉妹の母が、これまた何とも言えない存在感で絡んでいきます。高見澤家の女性4人と、それぞれ全く違う人間関係を結んでいく力。

「憐憫」という感情を真ん中に据え、様々に変化していくいびつな愛情が4者4様に、いや、力を加えて5者5様に表れてきます。また、島崎藤村・中原中也・寺山修司の詩が織り込まれていくなどなど、読みどころはたくさんあるのですが、なんといっても、どんでん返しとも違う驚きと心地よさを感じさせてくれるラストが秀逸です! 全ての登場人物たちの感情が昇華されるような結末に、それまでのストーリー展開からは想像できなかった、まさかの涙がこぼれてきて、自分でも驚きました。山田詠美さんに、読者の心もクラッシュされること間違いなしの作品です。これ以上は語れません…。ぜひ読んでみてください。

  • 2019.12.07 Saturday
  • 20:23

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

朝井リョウ『もういちど生まれる』

朝井リョウさんの『どうしても生きてる』が刊行されると知った時、そのタイトルの感じと、短編集という情報だけで、勝手に『もういちど生まれる』の続編ではないか…と想像していました。読んでみると、全く別物の短編集だったのですが、思い出したのを機に改めて再読してみました。

『もういちど生まれる』は、短編集とは言え5編の登場人物たちが深く何重にも関わっている連作で、作品ごとに登場人物たちの別の側面が浮き彫りになっていく趣向です。むしろ、視点を変えた章からなる長編小説的味わいと言った方がよいかもしれません。主人公たちは、もうすぐ二十歳になる十九歳で、いわゆるモラトリアム期間にある大学生、2浪の予備校生、専門学校生です。

「こんなにも人がいるのに、ほとんどが他人」という不思議な空間である大学をベースに、何らかの形で絡み合っていく登場人物たち。頻繁に登場する「椿」をはじめ、「椿」に恋する大学生らしい大学生である「翔多」の報われない恋など、読みどころはたくさんあるのですが、中でもモラトリアムの期限を迎えようとしている「ハル」の背負った物語に、短編連作長編の集大成的なところを感じました。

 

 

これまで夢を持ち続けるためにあえて見ないようにしてきた「特別ではない自分」という現実を受け入れて、逃げないことを決めたハル。妹ハルに「向き会いたいと思」い「伝わるといいな」と、画家として「彼女の将来」を描こうとした美大生の兄・ナツ。最後にハルがとった行動に対して、「本当は伝わってなかったのかもしれない。なんにも、誰にも。」とのナツのつぶやきだけを取り出すと、一見ナツの思いは伝わらなかったように感じますが、ハルの行動が現実の自分を受け入れて前に進むためであることを思う時、ナツの思いを受け止めた上での、ギリギリまで自分自身を追い詰めて進んでいこうとするハルの強さの行為である気がしてきました。

表題短編で、自殺の撮影シーンが「もういちど生まれたみたいだった」ように、救いのなさそうなハルの選択の中にも、モラトリアムから踏み出し「もういちど生まれ」直そうとする意志を描こうとする、作者の優しい眼差しを感じさせられる作品でした。

余談ですが、単行本と文庫本の装丁を見てみると、本作の中のそれぞれ別の短編からのインスピレーションで作られています。全く印象が違った本のようでありながら、二つの装丁の間にモラトリアム期間の大学生という存在を配置すると、しっくり腑に落ちてくるという面白い表紙の改訂だなと感じました。

  • 2019.12.01 Sunday
  • 23:52

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

天童荒太『永遠の仔』

松山市立子規記念博物館にて2019年10月20日(日)に開催された『巡礼の家』刊行記念のトークイベント【天童荒太 ふるさとを語る】では、身を削るようにして書いてこられた天童荒太さんの創作の方法に心震え、また、各作品にこめられた願いに胸がいっぱいになりました。そのトークイベントの中で天童さんは、『巡礼の家』(松山)同様、愛媛が舞台となった小説『永遠の仔』について次のようなお話をされていました。

「人間が生きていくためには本能的、動物的な意味で『仔』としての親の愛情が必要で、あらゆる人が認めてもらいたいと願っている。肯定感を満たされると人は幸せを感じ、ほめられなかった飢餓感が辛い行動へと衝動的に走らせる。この辛い物語を成立させることができたのは、石鎚と双海という知っている空間や感覚が執筆を助けてくれたからだ。」

 

 

『永遠の仔』は、児童虐待を受けて育った小学生たちが出会う小児精神科での時間と、虐待の傷を抱えたまま再会した彼らの17年後の今とが交差するミステリーです。天童さんは、執筆の際には「没入してボロボロ泣きながら」書かれるのだそうですが、『永遠の仔』も、登場人物たちと同化する天童さんの心の高ぶりや、存在する一人一人の人間への愛情がダイレクトに伝わってくるような作品でした。ミステリーとしての筋を追っているというよりも、人間が生きるとは、罪とは、人の尊厳とは、といった問いを突き付けられているように感じながら読み続けました。

文庫版では、「読者から寄せられた言葉への返事として」のあとがきが記されています。「本来、小説家が作品以外でしゃべり過ぎるのは、よいことではありません」としながらも、「それでも答えておく義務というものが、この作品に関しては生まれていると感じ、長く書かせていただきました」とし、心を尽くした天童さんの思いがつづられています。心に傷を負う全ての人々に贈られる天童さんのメッセージは、人間愛に満ちたあとがきとなっていて、物語とともに一つの作品として味わいたいと感じました。

愛媛県人ながらまだ登ったことのない霊峰石鎚山にも、一生に一度くらいは登ってみたい! と思い始めました。

  • 2019.11.23 Saturday
  • 18:38

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

平野啓一郎『マチネの終わりに』

福山雅治×石田ゆり子主演で話題の映画『マチネの終わりに』の原作本です。「たった三度しか会ったことがなく、しかも、人生で最も深く愛した」大人の恋愛小説ということですが、個人的には、恋愛模様を描いた作品というよりは、ままならないすれ違いの恋愛に翻弄される男女それぞれが、一人の人間として自己肯定できる生き方を手に入れていく物語として読みました。

四十歳を目前にしたクラシック・ギタリストの蒔野と、国際ジャーナリストであり、有名な映画監督の娘である二歳年上の洋子。物語を貫くのは、蒔野と洋子が初めてあった時の蒔野のセリフです。

 

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるともいえるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものしゃないですか?」

 

 

「中高年になって突然、現実社会への適応に嫌気が差して、本来の自分へと立ち返るべく、破滅的な行動に出る」≪ヴェニスに死す≫症候群と自認する洋子は、一見、婚約破棄しても蒔野への愛を選ぼうとする自由な女性のように感じますが、実際は「理不尽で、もっと過酷な困難を生きる人々」を取材してきてPTSDの症状に苦しんでおり、「人生そのものに対する虚無感」を抱え、「どの道を選ぼうとも行き止まりはなく、それはそれとして異なる出口が準備されている迷宮の方が、遥かに残酷なのだと」考えような人物です。だからこそ、彼女は「洋子さんを愛してしまっているというのも、俺の人生の現実なんだよ。洋子さんを愛さなかった俺というのは、もうどこにも存在しない、非現実なんだ」と言ってくれる蒔野に惹かれたのでしょう。

二人のすれ違いの年月はあまりにももどかしく、動かしがたい運命のようにさえ感じてくるのですが、初めの蒔野のセリフが重低音のようにずっと鳴り続けていることによって、二人の今は、過去を変えてくれる今(という未来)を重ねているだけであり、「間違ってなかった」と現実を受け入れていく二人を必然と受け入れることができました。

結末の先は、読者によって解釈が広がりそうですが、人生は、未来はもちろん過去でさえ、自分の考え方次第で変わっていくものなのかもしれない…と信じたくなるような作品でした。

  • 2019.11.16 Saturday
  • 17:18

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

平野啓一郎『日蝕・一月物語』

平野啓一郎さんといえば、『マチネの終わりに』の映画化で話題ですが、ベストセラーの恋愛小説を読む前に先に平野さんの作品の感じが知りたくて、『日蝕・一月物語』を手に取りました。『日蝕・一月物語』は、平野さんが「ロマンティック三部作」と呼ぶ初期3部作のうちの2編で、どちらも擬古文的独特の文体で書かれていますが、それぞれの時代を映すために時代に即した文体が選ばれていて、「日蝕」(中世ヨーロッパ)よりも、「一月物語」(明治三十年)の方が読みやすくなっています。

 

 

第120回芥川賞を受賞したデビュー作の「日蝕」は、中世キリスト教世界における、異教哲学への関心をもちながら、異端を取り込んだ新しい神学の構築を胸に抱く神学僧・二コラが主人公です。彼が旅の中で出会っていく、「錬金術師」「両性具有者」、そして、「魔女焚刑」の場に起こった「日蝕」と「賢者の石」。異教を「太陽の所為(せい)」と考えていた二コラが、「日蝕」の際に得た世界との一体感を思う時、最終的に「錬金術」の作業に就き、「一刹那一刹那に、或る奇妙な確信を以て世界の渾てと直に接していると感じている」結末は必然であるように感じました。

錬金術の把握の仕方に、「錬金術で生み出した物質ではなくて、その『作業における心理学的な過程に注目』」するユング心理学的視点を感じさせられる小説でもありました。

 

「一月物語」も、主人公が自分の追い求めていたものを、本来とは違ったものではありながら、結果的に自身の納得する形で手に入れていく主人公が描かれる意味では、「日蝕」と同テーマともいえる作品でした。

明治という時代で「自己」を手に入れ、「奈何なる形を以て己の情熱を成就させるべきか」を問う若き詩人・井原真拆が、浦島伝説の竜宮にも比せられる、夢か幻か分からないような場所に迷い込み、「ラッヴ」という「愛したいという情熱」を手に入れ、「超越的な存在と一体化する」までが、耽美的に描かれていきます。

「一刹那にのみ、忽然と存在して消える」盲人の世界に「幸福」を思い描いていた真拆にとって、見つめると殺めてしまう見毒を持つ夢の女・高子の存在も象徴的です。高子との「予告される未来を持たない一個の絶対の瞬間。独り肉体によってのみ、行為によってのみ、導かれるその瞬間」によって、彼は絶対的な自己を手に入れ、魂と共に昇華されたのでしょう。

  • 2019.11.09 Saturday
  • 22:02

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

恩田陸『蜜蜂と遠雷』『祝祭と予感』

2017年の直木賞&本屋大賞ダブル受賞作『蜜蜂と遠雷』が映画化で話題ですが、スピンオフ短編小説集『祝祭と予感』も刊行されています。

ピアノコンクールを描いた『蜜蜂と遠雷』は、奏者の演奏する曲がBGMとして脳内で再生される中で、登場人物の高揚感や達成感に共感していくので、読者も否応なしに盛り上がり、心地よいカタルシスが得られるような作品です。実際、何度もウルウルさせられました。音楽への愛がテーマともいえる小説で、エンターテインメントの要素も一面的でなく、芸術に携わる者の側面や書き込まれていて懐が深く、直木賞と本屋大賞は、それぞれに別の部分を評価したのだろうなと感じた小説でした。

 

 

スピンオフ短編集『祝祭と予感』は、『蜜蜂と遠雷』の結果が気になる読者の期待に応えるかのように、コンクール後の亜夜・マサル・塵の三人のエピソード「祝祭と掃苔」から始まります。審査員ナサニエルと三枝子の出会いの「獅子と芍薬」、課題曲「春と修羅」の誕生譚「袈裟と鞦韆」、ナサニエルとマサル師弟の物語「竪琴と葦笛」、ヴィオラ奏者・奏が主人公で亜夜と塵も登場する「鈴蘭と階段」、と続いていき、読者が一番待っていたであろう塵とホフマンの出会いを描く「伝説と予感」で閉めくくられます。「祝祭」から「予感」へと、物語の時間が逆に流れていくのも乙な構成の短編集でした。

映画では、課題曲「春と修羅」が演奏され、4人それぞれのカデンツァ(即興演奏)も盛り込まれているそうで、気になってしまっています。

  • 2019.11.02 Saturday
  • 08:25