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w closet×JUGEM

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」

第153回芥川賞受賞作。辞書的には「スクラップ・アンド・ビルド」とは、「老朽化したり陳腐化したりして物理的または機能的に古くなった設備を廃棄し、高能率の新鋭設備に置き換えること」。母と二人で、87歳の祖父の介護をする28歳の転職面接中の青年・健斗が主人公なのですが、何が「スクラップ」で、何が「ビルド」なのか、簡単に答えが出せるものではなく、何層にも仕掛けられている作品だと感じました。

 

 

「もう死んだらよか」と繰り返す祖父の願望を「本当の孝行孫」として叶えるべく、尊厳死をアシストしようとする健斗。日々自らの肉体を筋トレで鍛え上げ、よりよい肉体を再生し続ける健斗。中途採用面接と、行政書士の資格試験の勉強とを続けながら、人生を再構築しようとする健斗。

死に向かう祖父とは対局にある存在のような健斗ですが、弱っていく祖父が将来の自分の姿であるという苛立ちを払拭できない彼自身も描かれており、実は二人は対極ではないのではないか…、「スクラップ」され「ビルド」されるものとは…と考え込んでしまいました。祖父の戦争時代の話の真偽や、祖父の本当の願望、そして、結末で健斗が置かれた状況などなど…、結末そのものはとても明快に書かれているのですが、読者それぞれに様々な解釈が許されている作品でした。

  • 2019.05.18 Saturday
  • 20:08

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

長嶋有「猛スピードで母は」

芥川賞受賞の表題作と文學界新人賞受賞の「サイドカーに犬」の二編収録。

前者は、小5〜6の慎と潔いまでにあっけらかんと真っ直ぐにいきる母との二人の生活。後者は、母の家出をきっかけに始まった小4の薫と父の愛人・洋子さんと共同生活。どちらも小学生ならではの眼差しで見つめる大人の世界と、彼らの成長を描いた作品です。また、どちらも親の離婚や結婚不倫といった背景を持つ作品なのですが、小学生が眺める女性たち(母と愛人)の大胆さやブレないかっこよさも影響しているのでしょう、背景に似合わない清々しさを感じさせるのも特徴です。

 

 

「猛スピードで母は」での、母の恋人とのやりとりも絡めながら、母に「置き去りにされ」る可能性をも受け入れ、また自分の存在が母に与える影響を知り、いじめに立ち向かうまでに静かに成長する慎の姿は、母の猛スピードで好きなワーゲンの列をぐんぐん抜き去っていく最後の象徴的な場面と共に、読者に解放感を与えてくれます。

「サイドカーに犬」は、「盗み」というキーワードを中心に置くと様々に考えさせられる作品で、物品の盗みだけでなく人の心や生活の盗みなど様々な盗みが出てきます。薫自身が「飼われている」と感じる心地よさをくれる洋子さんは、本当に盗む側でしかないのか。一体誰が被害者で加害者なのか。大人になった薫の選ぶその先が意味深です。

  • 2019.05.11 Saturday
  • 18:24

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

ハンス・ペーター・リヒター三部作「あのころはフリードリヒがいた」「ぼくたちもそこにいた」「若い兵士のとき」(上田真而子 訳)

中学の国語の教科書に「ベンチ」の章が採用されている「あのころはフリードリヒがいた」。ナチスのユダヤ人迫害の様子を、ドイツ人少年の目から、ユダヤ人少年フリードリヒの悲劇として描いた作品ですが、次男の学校では、岩波少年文庫が渡されたそうで、同じ年代の中学生として衝撃を受け、3部作全てが読みたくなった作品のようでした。

実際3部作をそろえようとすると、「フリードリヒ」以外の、続編「ぼくたち〜」と完結編「若い兵士〜」が絶版になっていて、なかなか手に入れられなかったのが想定外でした。3部作とは言いながら、それぞれ、本の内容も、描き方も、少しずつ違っていて、「フリードリヒ」が小説として読みやすかったのに対して、編を重ねる毎に、どんどんルポルタージュ的要素が強くなってくるのが特徴でした。

 

 

「ぼくたちもそこにいた」は、「フリードリヒ」を見ていたドイツ人少年自身の話です。ナチス・ドイツの青少年団「ヒトラー・ユーゲント」の現実が、淡々と書かれていて、読者は、ユダヤ人への加害者としてのドイツ人ではなく、ドイツ人少年たち自身も、戦争に翻弄された存在だった事実を突きつけられます。

「若い兵士のとき」はその少年が若い将校となった前線での三年間の体験で、こちらは、短くぶつ切れのように、事実だけが生々しく重ねられていきます。ドイツ人将校の綺麗事ではすまされない戦争での個人的体験を重ねていくことで、戦争そのものがもつ残虐さや、戦争が人を人でなくしていく様子が浮かび上がってきます。作者は、物理的にも心理的にも、破壊そのものでしかない戦争というテーマを描くために、筆致を変えていったのかもしれません。

  • 2019.05.04 Saturday
  • 17:44

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

飯間浩明『小説の言葉尻をとらえてみた』

『三省堂国語辞典』編集委員の飯間浩明さんが、『小説宝石』に連載していた「辞書屋はこうして本を読む」を加筆修正して新書化した一冊です。取り上げられるのは、1960年以降に生まれた人気作家たちの2004年以降に発表された15作品です。(桐島、部活やめるってよ・オレたちバブル入行組・横道世之介・マチネの終わりに・八日目の蟬などなど…)

小説の言葉に注目しながら、それぞれの作品の内容やテーマなどを詳らかにしていく本なのかな、と思って手にとってみたのですが、読んでみると小説を読み深めていくための本ではなくて、国語辞書編集者ならではの言葉見つけ方、小説を読むときのアンテナの立て方を見せていくという趣向の本でした。小説を楽しむための本ではなくて、言葉への感覚を鋭くして「言葉を発見する」楽しみ方を知るための本と言えそうです。

 

 

辞書にまだ載っていない言い回しを探す辞書編集者の目線は、一般の読者にとっては新鮮なものです。飯間さんと共に小説言葉を追っていくことによって、こうやって言葉を集めていくのか! こんなふうに拘っていくのか! こうやって辞書は改められていくのか! と素直に驚かされました。普段から、飯間さんのようなアンテナを持つことはなかなか難しいですが、もしかすると、私たち一般読者でも、好きな作家の言い回しに注目して作家の独自性に近づいていくなどの楽しみ方は可能なのではないか、と感じさせられました。

「人のことば遣いにケチをつけるためにことば尻を捉えるのは感心しません。でも、ことばの面白さを見つけるために、ことばの端々にこだわってみるのもいいでしょう。」(エピローグより)

  • 2019.04.20 Saturday
  • 15:13

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

吉田修一『パレード』

第15回山本周五郎賞受賞作の『パレード』は、私がこれまで出会った吉田修一さんの作品の中で一番好きな作品でした。

ネタバレになるので詳細は書けませんが、とにかく最後の展開に驚きます。作者が何をどう組み込んでいたのか、自分はどこを素通りしてしまっていたのか、確かめられずにはいられない、必ずもう一度読み返さずにはいられない、そんな小説です。

 

 

5章に分かれたこの小説は、都内の2LDKのマンションをシェアしている男女5人それぞれの視点で語られていきます。パレードのように一人一人が行進していく中で、5人が重層的に肉付けされていき、最後の衝撃の展開まで繋がっていきます。

初読の段階では、「善意のみが入場可能な、出入り自由の空間」で、「深刻な自分は見せたくない」共同生活を送りながら、誰もが「この部屋用の私」を創りだし続けていること。誰かが知っている誰かは存在しても、みんなが知っている誰かなんてのはこの世に存在しないこと。誰かのために何かしてやれることなんてないこと…などが作品の中心にあるのだろうな…と読んでいたのですが、最後のおそろしいまでの現実を目の当たりにしてしまうと、人の心に存在する深い闇のようなものを意識せずにいられなくなります。

再読の際は、共同生活とは直接関係ないところでサラリと書き込まれている、「どんな悪人でも入場可能な、敷居の低い天国」「悦びに満ちた顔は、苦痛に歪む顔とそっくりだ」などなどの伏線的叙述が随所に書き込まれていて、(これ以上はネタバレになるので断念…)、再読時もかなり考えさせられ唸らされる作りになっています。また、おそろしき衝撃の展開が結末なのではなく、この後をどう読むか…、結末はそれぞれの読者にゆだねられている…そんな小説でした。その結末を選択(想像)する読者自身が問われている小説とも言えそうです。

  • 2019.04.13 Saturday
  • 16:25

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

俵万智『恋する伊勢物語』

『伊勢物語』の和歌を現代語の短歌に置き換えた現代語訳(「少年少女古典文学館 第2巻」に所収)でも知られる俵万智さんですが、本書は訳ではなく、『伊勢物語』から受けた刺激から、読み取ったり考えた「余計なこと」や「付け加えたくなった話」を自由に展開して、その魅力を読み解いていこうというもので、読売新聞日曜版の一年間の連載がまとめられた一冊です。

 

読書とは不思議なもので、そこに書いてあることについて考えるばかりでなく、そこに書いてないことについてまで、考えがどんどん広がっていってしまうことがしばしばある。

 

各章の扉に乗せられた、『伊勢物語』の歌を本歌取りにした歌も、その後に取り上げられる段への興味を掻き立てます。

 

恋せじといふ禊ありされど吾(あ)は恋して傷つくほうを選ばむ

 

これは、タイトルの由来ともされている「伊勢斎宮」との恋物語が取り上げられる第六十九段が含まれる章に置かれています。

 

 

教科書に載っている『伊勢物語』のイメージを払拭したい。在原業平の一代記ではなく、「おもしろいからこそ、古典といて読みつがれてきた」恋の見本市としての『伊勢物語』にスポットを当てたい。俵万智さんの古典への愛と、恋愛観までが垣間見られる『恋する伊勢物語』です。

  • 2019.04.06 Saturday
  • 21:10

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

原研哉『デザインのデザイン』

高等学校の「国語総合」の教科書に収録されているグラフィックデザイナー・原研哉さんの評論「白」。日本人の文化の美意識の原点に触れられる評論で、大変面白く、また興味深く、生徒たちにとっても実生活に引き寄せて考えさせられた教材でした。

 

 

その原研哉さんがデザインを語り、サントリー学芸賞を受賞したのが本書です。原さんならではのデザイン論に加え、実際に原さんが手がけられた具体的なデザインが写真入りで紹介されていて、門外漢でもとても理解しやすくなっています。例えば、原さんがボード・メンバーとして関わっている「無印良品」のアートディレクションのコンセプトなどについても、第四章「なにもないがすべてある」で一章を割いて語られています。

新奇なものをつくり出すだけが創造性ではなく、「見慣れたものを未知なるものとして再発見できる」ようデザインすることは、無から有を生み出すのと同じく創造的であり、それが、「ものと人との関係を豊かにすること」に繋がるというデザイン論。その価値に気付かずに蓄積された膨大な文化を未使用の資源として活用すること、自分たちの文化の美点や独自性を相対化し、熟成した文化圏としてのエレガンスを生み出そうとする姿勢が貫かれていて、それは「たたずまい」という表現にも象徴されるようです。「叡智は自然の側にあり人間はそれを汲み取って生きていると考えてきた」日本人独特の感性も思い出させてくれる一冊です。

 

少しでも多くの人にデザインに対する意識を持ってもらえたなら、それはデザインにとってもありがたいことである。そういうコミュニケーションもデザインなのだ。(「あとがき」より)

  • 2019.03.30 Saturday
  • 12:48

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』

朝井リョウさんの新刊は、『小説BOC』1〜10号に連載された、8作家による競作企画「螺旋プロジェクト」の中の一作品。3つのルールに従いながら、古代から未来までの、日本で起こる「海族」と「山族」の対立構造を描くプロジェクトの「平成」編が、『死にがいを求めて生きているの』です。もちろん、本作もプロジェクトのルールの中で物語は進んでいくのですが、やはり朝井リョウ色は顕著で、平成に生きる人々を描きながら、何らかの対立の中から逃れられない人間存在というものが、哀しくも静かに激しく、また希望の眼差しでもって描かれていきます。

 

(写真は中央公論新社HPより)

 

ちょっとした違いが溝を産み、そして集団を作り、生まれていく対立、そして大きくなっていく争い。個人個人の日常の生活では、全く関係の無いと思えるような「対立」が,、実は常に私たちの身近にあることにハッとさせられます。

自己存在を示すために敵を作りながら生きていく堀北雄介と、人を分断しない生き方をしたいと願う南水智也。

二人の身近にいる人々、そして、智也自身の視線から、二人が何層にも描き出されていくのですが、最終的に書かれずに終わるのが雄介視点の物語です。破壊的な側面ばかりが浮かび上がってくる雄介ですが、あえて、強硬さの裏に隠れている誰よりも傷つきやすい雄介の物語が書かれないことによって、結末の智也の物語の中での、弱さを受け入れる強さをもった智也の「絶対」という言葉が予感させる力が際立ってくるように感じます。

「死ぬまでの時間を生きていい時間にしたい」雄介とは、この世に存在し続ける対立の円環から逃れられない私たち読者自身でもあるのでしょう。読者はそれぞれに、その後雄介に用意されるだろう甘くはない救済の物語を想像すると共に、螺旋のように続く対立の連鎖の中に生きる読者たちへの作者からの祈りにも似たメッセージを受け取るのに違いありません。

 

 

この後、7月まで螺旋プロジェクト作品は続々と刊行予定のようです。各作品で「海族」と「山族」の対立構造から何が描き出されているのか。また、それぞれにどう繋がっていくのか。読み比べることによって、よりそれぞれの作者の色が見えてきそうです。

  • 2019.03.17 Sunday
  • 16:25

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

沼田まほかる『ユリゴコロ』

1月に紹介した沼田まほかるさんの作品『彼女がその名を知らない鳥たち』が、単なるミステリーに留まらず、綺麗事ではおさまらない人間たちを丁寧に描いていて、なかなか興味をひかれたので、再度彼女の作品を手にとってみました。

殺人に取り憑かれた人間の、これまでの生々しい殺人を告白したノート「ユリゴコロ」を巡る物語で、ノートを見つけた亮介を主軸に、ノートの内容が明かされると同時に、彼を取り巻く人間関係のありようがオセロのようにひっくり返されていく驚きのミステリーです。

 

 

書名でもある「ユリゴコロ」は、ノートの著者が“心の寄り何処”というような意味で使った言葉です。初めは殺人が唯一の心の拠り所であるという意味の「ユリゴコロ」でしかないのですが、物語が進むに従って読者は、それぞれの登場人物たちの人を愛することを生きる拠り所とする「ユリゴコロ」を見せられてしまっている作品となっていきます。血なまぐさい殺人がいくつも織り込まれながらも、読後感にそれほど後味の悪さを感じないのは、人を愛することを「ユリゴコロ」とする登場人物たちを、読者が嫌悪しきることができないからなのでしょう。数々の殺人が社会的に罰せられないところに物足りなさを感じる読者もいるかもしれませんが、(『彼女がその名を知らない鳥たち』も罰のない作品だったこともあり、)作者にとっては、無償の愛や許しのようなものを描くことが主眼なのかなと感じました。

『ユリゴコロ』は2017年に映画になったようですが、原作にかなりアレンジが加えられているとかいないとか…。さて、どう料理されているのか…、そちらも観てみたくなりました。

  • 2019.03.09 Saturday
  • 11:14

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

チョン・セラン『アンダー、サンダー、テンダー』

『今、何かを表そうとしている10人の日本と韓国の若手対談』の、朝井リョウさんとチョン・セランさんの対談でも取り上げられていた作品です。オビには、「隣国の小説家が描き出す、少年少女の両目に写り得るもののすべて。その世界の手触りに、ここめで共鳴するとは。」との朝井リョウさんの推薦文が載せられています。

訳者・吉川凪さんのあとがきに、「アンダー、サンダー、テンダー」というタイトルに込めた意味を作者に尋ねた答えが載せられていました。

アンダーエイジとは、資質や才能、癒すべき傷、優れていたり、劣っていたりする部分がまだはっきり表に現れていない年齢のことです。自分なりの何かを見つけようと挫折を繰り返すアンダードッグ(負け犬)のようなニュアンスもあります。サンダーエイジは、私のつくった言葉で、文字通り稲妻のような年頃です。十代で経験することはすべてにおいて圧倒的であり、音楽も十代で聴けば切実に感じられるし、雨に降られても体中の細胞がすべて反応するような気がするでしょう。そんな感覚の強烈さをサンダーと表現してみました。テンダーエイジは、あまりにも優しく柔軟でまだ固まっておらず、また自らを守れる年齢ではないために社会の暴力に無防備にさらされている十代を表した言葉です。

 

 

作品は、タイトルの解説にあるような十代の人間関係や出来事が真ん中に据えられているものの、十代がそのまま描かれて完結するのではなく、三十代となった主人公が十代の日々を振り返るという趣向です。また、主人公を取り巻く登場人物たちの群像劇ともなっていて、これまた大人になった彼らも登場してきます。唐突に挿入されていく、主人公(最終的に短編映画監督となる)の彼らを撮影した断片的動画の場面は、読み終わった読者にとっては、もう一度振り返らずにいられないものとなります。動画部分を通して追っていくと、今を生きる彼らが生き生きと立ち上がってきて、胸があつくなるという作りも劇的です。

失うことが全てであるかのような、何も手に入れられるものなどないような十代を送った主人公たちが、そんな現実の中にありながらも、自分自身として生きていく大人となっていく。何らかの形で周囲の人が関わることでしか人の一歩一歩はないのだな…と感じさせられる作品でした。

  • 2019.03.02 Saturday
  • 13:26