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w closet×JUGEM

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

ギュスターヴ・ドレ挿画*セルバンテス『ドン・キホーテ物語』 窪田般彌訳

本日開幕! 二代目松本白鸚さんが、喜寿にして挑むミュージカル『ラ・ マンチャの男』・50周年記念公演! 全国ツアーが始まります。

初日のチケットが手に入ったこともあり、ちゃんと読んだことのなかった『ドン・キホーテ物語』を読んでみることにしました。あまりにも知られた『ドン・キホーテ』ということもあり、全編が気になりながらも、岩波文庫でも6冊と長そうなので手が出ず…。結局(見覚えのあった)ドレの挿絵120枚が載せられているものなら、挿絵が理解を助けてくれるのでは! と期待して沖積舎版を選びました。

 

 

ドレの挿絵が左ページに載せられ、右ページに挿絵を解説するようなドン・キホーテの冒険が述べられているこの本。一枚一枚の絵がとても繊細で驚かされましたが、挿絵がメインになっているため、物語がプツプツ切れて脈絡を感じられないのが難点で、読み慣れるのにかなり苦労しました。物語を味わうために読む本というよりは、物語の全編を知った人が、挿絵を楽しむための本だなと感じました。とは言え、大まかな筋は分かりますし、美しい挿絵が、物語を想像させてくれるので、とりあえず、ドン・キホーテの世界に触れてみたい人にはオススメかもしれません。

やはり、作者セルバンテスのやりたかったものは、全編を読んでみないと分かりそうもありませんが、『ドン・キホーテ』のアレンジという意味で、ミュージカル『ラ・ マンチャの男』と同様に、本作もまたドレの挿絵を中心に置いた『ドン・キホーテ』の一つの解釈なのかなと思いました。ミュージカルでは、メタフィクションとしての『ドン・キホーテ』がまた舞台ならではの演出となっているようです。いよいよ18時開演です。『ラ・ マンチャの男』楽しみです!

  • 2019.09.07 Saturday
  • 10:00

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

田丸雅智『海色の壜』

松山市の「坊っちゃん文学賞」が、16回からショートショートのコンテストとして生まれ変わるそうで、審査委員長の田丸雅智さんが、松山市出身で新世代ショートショートの旗手として活躍中だと知り、読んでみたくなりました。

一編を数分で読めるショートショートというジャンルの存在は知っていましたが、私自身はあまりなじみがなく、興味深く読み始めました。「簡単に言うと『短くて不思議な物語』、もっと言うと『アイデアと、それを活かした印象的な結末のある物語』」をショートショートというのだそうです。

 

 

『海色の壜』は、「海を閉じ込めよう」とした作品群を含めた20編の作品集です。一番好きだったのは松山の三津を舞台にした「海酒」で、完成度からも、また、夢や郷愁、そして、読者それぞれの海への思いを載せることのできる点からも、心地よく読み進められた作品でした。どうやら「海酒」は、2012年樹立社ショートショートコンテストで最優秀賞に輝き、2016年にピース又吉氏主演で短編映画化もされた作品だったようで、納得! でした。

その他、狂気的な心の闇をのぞくような「蜜」や、どんでん返し的不如意なエンディングにで驚かされる「壁画の人々」などが好きでした。全体を通しては、せつなさを感じながらも、前向きな希望を感じさせたり、人のよすがとなる救いのようなものを描いていく作家さんだなと感じました。

 

ショートショートを書く醍醐味は、と尋ねられると、ぼくはいつもこう答えます。

たくさんの自分の好きなものや大切な思い出を、理想の形に変えて人に伝えることができること、だと。(あとがきより)

  • 2019.08.31 Saturday
  • 19:26

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

今村夏子『むらさきのスカートの女』

第161回芥川賞受賞作。初めての今村夏子さんです。オビには、

 

近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で働きだすように誘導し、その生活を観察し続ける。

 

とありますが、実際の〈わたし(自称:黄色いカーディガンの女)〉の行動は、観察レベルを超えていて、完全なるストーカーと言えるほどの不気味な執着のみを示していきます。冒頭から「むらさきのスカートの女」は、行動も姿も世の中に適応しづらい女性の典型ように語られていくのですが、〈わたし〉が彼女に近づけば近づくほど、「むらさきのスカートの女」が、〈わたし〉の認識とは違った現実社会で普通に生きられる(生きている)女であることが浮かび上がってきます。むしろ、〈わたし〉の異常性の方が際立ってきて、読者はゾワゾワさせられます。

 

 

そして、執拗なストーキングにも関わらず、不思議なことに、〈わたし〉が「むらさきのスカートの女」に気づかれることは全くありません。この辺から、読者は、もしかして二人は同一人物なのではないか…なんてことも考えながら読んでいくことになります。しかし、物語を追っていくと、やはり作者は二人を別人として設定しているようです。最終的な物語の展開、そして、集約点を思う時、この話は、社会的に認知されにくい〈わたし〉が、「黄色いカーディガンの女」として社会に存在するようになる話だったのだなと思いました。

〈わたし〉の思い込んでいた「むらさきのスカートの女」とは、「黄色いカーディガンの女」になりたい〈わたし〉が思い描いていた理想像であって、これから〈わたし〉はやっとなりたい「黄色いカーディガンの女」になっていくのでしょう。それは、社会的に好ましい存在とはいいがたいものなのかもしれませんが、〈わたし〉にとっては唯一の社会に色をもった人間として存在できる術なのかもしれません。そう思うと、表紙のイラストは「むらさきのスカートの女」を通して変化する彼女を象徴しているようで、またゾワゾワがこみあげてきました。ドット柄の布の下には、かなしくもいじらしい人間が隠されているようです。

  • 2019.08.24 Saturday
  • 23:08

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

川上未映子『夏物語』

以前紹介した『乳と卵』をリブートし取り込みながら、AID(非配偶者間人工授精)というテーマを中心に据えた『夏物語』は、命の存在意義・生まれること・生むことを、シビアに真正面から問うていく作品です。

作家となった38歳の夏子は、結婚しない生き方を選択しながらも、「自分の子どもに会いたい」との思いから、パートナーなしの出産を目指すようになります。そして彼女が出会い心を寄せていくのが、「精子提供」で生まれ、辛い過去を背負っている逢沢潤です。相澤以外の登場人物たちは、大小様々な生きづらさを抱えた女性を中心に構成されていくのですが、シングルマザー・仕事を選ぶ独身女性・性被害者・嫁ぎ先(姑)の拘束に縛られる嫁など、孤独を抱えた女性達の中でも一番壮絶な人生を送ってきたのが、相澤の恋人・善百合子です。AIDで生まれた女性であるために凌辱され続けてきた善百合子の過去が悲惨であるからこそ、出産を「暴力的」で親の「身勝手な賭け」だという彼女の主張が、夏子を、そして、読者を大きく揺さぶっていきます。

 

 

出産を肯定に捉えるか、否定的に捉えるか、登場人物達それぞれに温度差がありますが、あらゆる価値観の人々が登場してきて、また、生むことの対極にある「死」の物語が作品を支えているので、読者も生み生まれることの意味を、自分のものとして読んでいくことができるのではないかと感じました。

到底簡単には幸せを手に入れられないだろう登場人物達の中で、一番の救いは、一章から登場している緑子と巻子の存在です。一章で生む女になることを嫌悪する小学生だった緑子が、二章では(苦しい生活環境は変わらないものの)女としての幸せを掴みそうな存在に成長していること、母巻子とともに、生む女になりたい夏子をどんと受け止める存在であるところに、作者川上未映子さんの生み生まれること、そして生きることへの希望を感じました。

生むとは、生きるとは、人と出会うことなのではないか。生き方とは、個人一人一人が自分の意思で掴みとっていくしかないのではないか。そして、生きづらい現実の中にも、生きる意味は必ずあるのではないか。そんな作者の祈りを感じる作品でした。

  • 2019.08.17 Saturday
  • 09:41

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

川上未映子『乳と卵』

第138回芥川賞受賞作。川上未映子さんと言えば、最近刊行された長編『夏物語』が話題ですが、第一部が『乳と卵』をリブートした作品で、第二部は『乳と卵』の登場人物達を主人公にした8年後を描いたものだと知って、『夏物語』の前に読み返してみたくなりました。

『乳と卵』は、語り手である東京在住の夏子と、大阪からやってきたホステスの姉・巻子と、その娘の緑子との三日間の物語です。大阪弁のスパイスを加えた、語りのような独特の長い文体に、12歳の緑子のナマの感情が綴られたノートの断片が組み合わされた作品です。文体に慣れるまで少し時間はかかりましたが、読んでいるうちに、三人の世界の中に取り込まれてしまいます。

女としての自分を取り戻すかのように豊胸手術に取りつかれている母・巻子と、大人(女)になることに嫌悪感を抱く娘・緑子。緑子が受け入れたくないワードとして、卵子・生理・受精卵・妊娠・胸…、などが繰り返し出てきます。また、半年以上全くしゃべらずに筆談でしか会話をしない緑子を持て余す巻子(や夏子)を通して、読者も思春期ならではの存在としての緑子を受け入れそうになるのですが、実は彼女の本心が、「しゃべったらケンカになるし、またひどいことゆうてまうし、働いてばっかりでつかれてるの、それも半分、いや、全部あたしのせいやって思ったら、厭厭厭ではやく大人になって一生懸命に働いてお金をあげたいけれど(略)」と母への思いからのものであることを知るところあたりから、緑子への見方が変わってきます。生む女になることの葛藤の中で、生んだ母や、生まれてきた自分を受け入れようともがいている緑子が丁寧に描かれているからこそ、クライマックスの爆発的で劇的なぶつかり合いに、読者は、驚きよりも共感や切実さを感じ、また、一種のカタルシスをも与えてもらえるのだろうと感じました。

 

 

新刊『夏物語』は、「パートナーなしの妊娠、出産を目指す夏子のまえに現れた、精子提供で生まれ「父の顔」を知らない逢沢潤——生命の意味をめぐる真摯な問いを、切ない詩情と泣き笑いに満ちた極上の筆致で描く、21世紀の世界文学。」とのこと。

現在cakesで無料で公開されている『夏物語』の第一部を読んでみると、『乳と卵』が読みやすくテンポよくリブートされていて、早く本筋の第二部を手に取ってみたくなっています。

  • 2019.08.03 Saturday
  • 13:09

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

朝井リョウ『ままならないから私とあなた』

常に何らかの驚きを用意してくれている朝井リョウさんの作品が大好物なのですが、『ままならないから私とあなた』を初めて読んだ時の衝撃は最大級のもので、私自身、今一番好きな作家さんだ! と再確認した作品でした。その本が文庫化されるにあたり、一章追加されたとのこと! 興味津々で手に取りました。

「夢を応援し続けてくれる人」と信じていた存在が、悪気もなく(むしろ良かれと思って)皮肉にも夢を打ち砕く存在になってしまうままならなさ。そこに、悪意がないからこそ、理解しあえない人間関係が浮かび上がってきて、なんとも悲しい。自分の中の正しさで生きようとする人間の傲慢さが生みだしていく残酷さだけが際立ちます。

また、その傲慢さは一見、薫から雪子に対するものだけのように見えるのですが、「これからどうなるかわからないことに、ぶつかっていくしかないの」「自分の中にあること、そんなに怖がらなくていいんだよ」といっていた雪子自身が、実は薫とは形を変えた別の傲慢さの中にあるのではないか…と読者に気づかせていく展開は秀逸です。

単行本では、雪子も薫も相手のためを思いながら、結局ぶつかっていく対象でしかない事実、そして、人間の持つ善意の仮面を被った傲慢さに「ままならなさ」を感じさせられたのですが、その「ままならなさ」の希望的回収が行われたのが今回の文庫版の加筆です。

30年後に出会う雪子と薫の娘と息子。それぞれが親を反面教師に、母世代と逆転したような個性として育っているのもままならない…。しかし、娘の経営する(象徴的な名を持つ)Life Controlという会社での子供たち世代の交流。「他ならぬ自分」を認識し、「変わりゆく世界の一部に馴染んでいくだろう」と「価値観が異なる」ものとの共存を予感させる子供たち。ままならない世の中で生きる人間たちへの慈しみを感じるような加筆でした。

 

 

同時収録の「レンタル世界」もこれまた「ままならなさ」の結晶のような作品です。人間関係をレンタルするビジネスを嫌悪する主人公ですが、彼が自身の傲慢さを突き付けられることともなるどんでん返しの結末には驚かされます。しかし、その驚き以上のままならなさだけがそこにはあり…、こちらもまた、せつなさがつのる作品でもあります。

  • 2019.07.27 Saturday
  • 20:25

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

乾ルカ『コイコワレ』

朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』伊坂幸太郎さんの『シーソーモンスター』薬丸岳さんの『蒼色の大地』に続いて手に取った「螺旋プロジェクト」8作品のうちの昭和前期編です。

「海族」と「山族」の対立構造を描く螺旋プロジェクトですが、これまでの作品が、主人公たちを描いていく中で、世の中の対立構造を浮かび上がらせていくような手法だったのに対して、『コイコワレ』は個人対個人の対立に主軸をおいた作品でした。対立の結果生まれた戦争という状況を背景にしながらも、清子とリツという二人のお互いへの嫌悪の感情と二人の成長物語が中心に語られていきます。

 

 

これまでの4作品の中で、一番「螺旋」について言及されている作品で、「中心へ収束」し「一点に集中していく線」が、即ち「逆に外へと拡散していく」力でもあるという把握の仕方が、清子とリツがお互いに嫌悪しながら受け入れようと努力する心の渦巻きや、彼女たちが変わろうとする中で得ていく心の解放を象徴しているところが印象的でした。対立がどんどん深まり、逃れられないものとして争いという形に集約していけば、あとはコワレて外へと開放するしかないという、作者のメッセージのようにも感じました。

全ての章に逅・恋う・紅・乞う・光…と「コウ」と読める字があてられていたのも興味深く、では、タイトルの「コイコワレ」にはどんな漢字があてられるのか…考え込んでしまいました。恋・恋い・濃い・乞い・請い・故意…、恋われ・壊れ・毀れ・乞われ・請われ…。それぞれどの組み合わせでも当てはまりそうで、また、どの組み合わせ方からも作品中の対立の生み出す何かを暗示しているようなタイトルだなと、読み終わって改めて感じています。

  • 2019.07.20 Saturday
  • 18:14

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

村上春樹『騎士団長殺し』 第1部: 顕れるイデア編 第2部: 遷ろうメタファー編

前回の川上未映子さんと村上春樹さんのロングインタビュー『みみずくは黄昏に飛びたつ』に刺激されて、考えずに読んでみたくなって再読した『騎士団長殺し』ですが、やはり、ついつい考えてしまう作品でした(笑)とは言え、考えずにそのまま受け入れる読者であろうとして読んでいくことで、騎士団長という独特のキャラクター設定や、パラレルワールド的穴というモチーフ、ギャツビーを彷彿とさせる免色さんの存在や、上田秋成の怪異譚の取り込み方…などなど、村上春樹作品らしさにあふれた部分を純粋に楽しむことができたようにも思います。

 

 

また、先のインタビューによると、副題にも取り上げられている「イデア」や「メタファー」という言葉には一般的な概念としての意味はないということでしたが、やはりこれも所謂「イデア」や「メタファー」としても解釈できるものになっていて、かなり読者の受け取り方に委ねられているなと感じました。もしかすると、村上さんが意味を限定させずに「その言葉の持っているイメージの一部、ある意味での豊かさ」や「広い範囲の、磁力を持った何か」として使っているからこそ、読者は自由に村上作品と自分をつなぐことができ、読者自身にとっての心地よい物語として解釈していけるのかもしれません。

 

物語というのは、解釈できないからこそ物語になるのであって、これはこういう意味があると思うって作者がいちいちパッケージをほどいていたら、そんなの面白くも何ともない。読者はガッカリしちゃいます。作者にもよくわかってないからこそ、読者一人ひとりの中で意味が自由に膨らんでいくんだと僕はいつも思っている。(『みみずくは黄昏に飛びたつ』より)

 

まっとうさの中に孕まれている危険を感じ、また、確信をもって断言できることはこの世界にないとしながらも、目に見えるすべてが関連性の産物であると捉えていく受け止め方、そして、(思った以上に)穏やかな結末、また何より、肖像画家である主人公を描けば描くほど、小説家村上春樹が小説でやろうとしていることに近づけているような気にさせてもらえるところなどなど…、読者として嫌いでは“あらない”物語でした。

  • 2019.07.06 Saturday
  • 20:48

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

川上未映子 村上春樹『みみずくは黄昏に飛びたつ』

訊き手・川上未映子さん、語り手・村上春樹さんの『騎士団長殺し』をメインに据えた対談集です。

川上未映子さんは、少女時代から村上春樹さんの熱心な愛読者だったそうなのですが、愛読者の域を超えて、研究者のような緻密な読み込みと記憶力でインタビューが進められていきます。そして、そこに作家としての好奇心が上乗せされて訊き尽くされていくので、読者も一緒に過去の作品まで振り返りながら、興味深くまた面白く読むことのできるロングインタビューでした。

 

 

私自身が一番興味深かったのは、村上さんの創作で採用する言葉が、辞書的な意味で使用しているのではないというところでした。例として出されていたのが、『騎士団長殺し』の中に出てくる騎士団長の「私はイデアだ」や顔ながの「私はメタファーです」です。「イデア」も「メタファー」もふと出てきたから使っただけで、一般に考えられる「イデア」「メタファー」の意味で使っているのではないというのには驚きました。

「その言葉の持っているイメージの一部、ある意味での豊かさが必要」なだけで、「広い範囲の、磁力を持った何か」としての意味しかないそうで、村上さん自身も「僕にもよくわからない」とのこと。辞書的な意味で解釈し、意味づけて理解しようとする私には目からウロコでした。作者の前に現れ出てきたものをそのまま描いていく村上春樹作品は、読者の心に現れるままに読めばよいのだ、とふっと肩の力が抜け、『騎士団長殺し』の再読がより楽しみになりました。

その他にも。日常的な自我の葛藤を描かない創作姿勢や、よく例に出される地下二階のたとえ、そして、「善き物語」には力がある話などなど盛りだくさん。読んだ本の内容をすぐに忘れてしまう私としては、改めて村上春樹作品を読み直したくなる一冊でした。少なくとも国語総合の教科書に載っている「鏡」は、新しい作品へのアプローチ方法がありそうで、ぜひ扱ってみたいと思いました。

 

 

愛媛新聞で、毎週土曜日に6回にわたって掲載されていた”村上春樹さん特別インタビュー 小説家40年と「騎士団長殺し」”が、タイムリーにも本日で終了しました。『騎士団長殺し』が文庫化されたばかりのタイミングなので連載は想定内(!?)とは言え、ちょっと嬉しくなるシンクロニシティーでした。

  • 2019.06.29 Saturday
  • 15:07

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

薬丸岳『蒼色の大地』

8作家による競作企画「螺旋プロジェクト」の中の一作品。朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』、そして、伊坂幸太郎さんの『シーソーモンスター』に引き続いて手に取りました。初めての薬丸岳さんですが、これまで薬丸作品を原作とする気になる映画やドラマと出会っていて一度読んでみたいと思っていたので、興味深く読み始めました。

 

 

日本で起こる「海族」と「山族」の対立構造を描くプロジェクトのなかで、『蒼色の大地』はこれまでの二冊以上に両族の協調の可能性に軸をおいた作品だと感じました。灯、鈴、新太郎といったメインの登場人物たちの、同族へ一辺倒にはならない他族への協調的な態度。一方で、明らかな対立を生じさせているのが、実は統率するもの同士の私憤ともいえる狂気である事実。

本当に逃れらない対立などというものはどこにもなく、争いとは人間個人が自由意思の中で選び取ってしまった結果なのではないか。そしてまた、私たちが争いの強い渦に巻き込まれてしまうのも、その弱い意志故なのではないか。対立しなければならない運命などどこにもない、自らの意志で抗い続けるべきだ、という作者からの願いのようなメッセージを受け取った気がしました。螺旋プロジェクト以外の、本来の薬丸岳作品も読んでみたくなりました。

  • 2019.06.22 Saturday
  • 14:58