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備忘録〜個人的・書籍の感想〜

乾ルカ『コイコワレ』

朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』伊坂幸太郎さんの『シーソーモンスター』薬丸岳さんの『蒼色の大地』に続いて手に取った「螺旋プロジェクト」8作品のうちの昭和前期編です。

「海族」と「山族」の対立構造を描く螺旋プロジェクトですが、これまでの作品が、主人公たちを描いていく中で、世の中の対立構造を浮かび上がらせていくような手法だったのに対して、『コイコワレ』は個人対個人の対立に主軸をおいた作品でした。対立の結果生まれた戦争という状況を背景にしながらも、清子とリツという二人のお互いへの嫌悪の感情と二人の成長物語が中心に語られていきます。

 

 

これまでの4作品の中で、一番「螺旋」について言及されている作品で、「中心へ収束」し「一点に集中していく線」が、即ち「逆に外へと拡散していく」力でもあるという把握の仕方が、清子とリツがお互いに嫌悪しながら受け入れようと努力する心の渦巻きや、彼女たちが変わろうとする中で得ていく心の解放を象徴しているところが印象的でした。対立がどんどん深まり、逃れられないものとして争いという形に集約していけば、あとはコワレて外へと開放するしかないという、作者のメッセージのようにも感じました。

全ての章に逅・恋う・紅・乞う・光…と「コウ」と読める字があてられていたのも興味深く、では、タイトルの「コイコワレ」にはどんな漢字があてられるのか…考え込んでしまいました。恋・恋い・濃い・乞い・請い・故意…、恋われ・壊れ・毀れ・乞われ・請われ…。それぞれどの組み合わせでも当てはまりそうで、また、どの組み合わせ方からも作品中の対立の生み出す何かを暗示しているようなタイトルだなと、読み終わって改めて感じています。

  • 2019.07.20 Saturday
  • 18:14

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

村上春樹『騎士団長殺し』 第1部: 顕れるイデア編 第2部: 遷ろうメタファー編

前回の川上未映子さんと村上春樹さんのロングインタビュー『みみずくは黄昏に飛びたつ』に刺激されて、考えずに読んでみたくなって再読した『騎士団長殺し』ですが、やはり、ついつい考えてしまう作品でした(笑)とは言え、考えずにそのまま受け入れる読者であろうとして読んでいくことで、騎士団長という独特のキャラクター設定や、パラレルワールド的穴というモチーフ、ギャツビーを彷彿とさせる免色さんの存在や、上田秋成の怪異譚の取り込み方…などなど、村上春樹作品らしさにあふれた部分を純粋に楽しむことができたようにも思います。

 

 

また、先のインタビューによると、副題にも取り上げられている「イデア」や「メタファー」という言葉には一般的な概念としての意味はないということでしたが、やはりこれも所謂「イデア」や「メタファー」としても解釈できるものになっていて、かなり読者の受け取り方に委ねられているなと感じました。もしかすると、村上さんが意味を限定させずに「その言葉の持っているイメージの一部、ある意味での豊かさ」や「広い範囲の、磁力を持った何か」として使っているからこそ、読者は自由に村上作品と自分をつなぐことができ、読者自身にとっての心地よい物語として解釈していけるのかもしれません。

 

物語というのは、解釈できないからこそ物語になるのであって、これはこういう意味があると思うって作者がいちいちパッケージをほどいていたら、そんなの面白くも何ともない。読者はガッカリしちゃいます。作者にもよくわかってないからこそ、読者一人ひとりの中で意味が自由に膨らんでいくんだと僕はいつも思っている。(『みみずくは黄昏に飛びたつ』より)

 

まっとうさの中に孕まれている危険を感じ、また、確信をもって断言できることはこの世界にないとしながらも、目に見えるすべてが関連性の産物であると捉えていく受け止め方、そして、(思った以上に)穏やかな結末、また何より、肖像画家である主人公を描けば描くほど、小説家村上春樹が小説でやろうとしていることに近づけているような気にさせてもらえるところなどなど…、読者として嫌いでは“あらない”物語でした。

  • 2019.07.06 Saturday
  • 20:48

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

川上未映子 村上春樹『みみずくは黄昏に飛びたつ』

訊き手・川上未映子さん、語り手・村上春樹さんの『騎士団長殺し』をメインに据えた対談集です。

川上未映子さんは、少女時代から村上春樹さんの熱心な愛読者だったそうなのですが、愛読者の域を超えて、研究者のような緻密な読み込みと記憶力でインタビューが進められていきます。そして、そこに作家としての好奇心が上乗せされて訊き尽くされていくので、読者も一緒に過去の作品まで振り返りながら、興味深くまた面白く読むことのできるロングインタビューでした。

 

 

私自身が一番興味深かったのは、村上さんの創作で採用する言葉が、辞書的な意味で使用しているのではないというところでした。例として出されていたのが、『騎士団長殺し』の中に出てくる騎士団長の「私はイデアだ」や顔ながの「私はメタファーです」です。「イデア」も「メタファー」もふと出てきたから使っただけで、一般に考えられる「イデア」「メタファー」の意味で使っているのではないというのには驚きました。

「その言葉の持っているイメージの一部、ある意味での豊かさが必要」なだけで、「広い範囲の、磁力を持った何か」としての意味しかないそうで、村上さん自身も「僕にもよくわからない」とのこと。辞書的な意味で解釈し、意味づけて理解しようとする私には目からウロコでした。作者の前に現れ出てきたものをそのまま描いていく村上春樹作品は、読者の心に現れるままに読めばよいのだ、とふっと肩の力が抜け、『騎士団長殺し』の再読がより楽しみになりました。

その他にも。日常的な自我の葛藤を描かない創作姿勢や、よく例に出される地下二階のたとえ、そして、「善き物語」には力がある話などなど盛りだくさん。読んだ本の内容をすぐに忘れてしまう私としては、改めて村上春樹作品を読み直したくなる一冊でした。少なくとも国語総合の教科書に載っている「鏡」は、新しい作品へのアプローチ方法がありそうで、ぜひ扱ってみたいと思いました。

 

 

愛媛新聞で、毎週土曜日に6回にわたって掲載されていた”村上春樹さん特別インタビュー 小説家40年と「騎士団長殺し」”が、タイムリーにも本日で終了しました。『騎士団長殺し』が文庫化されたばかりのタイミングなので連載は想定内(!?)とは言え、ちょっと嬉しくなるシンクロニシティーでした。

  • 2019.06.29 Saturday
  • 15:07

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

薬丸岳『蒼色の大地』

8作家による競作企画「螺旋プロジェクト」の中の一作品。朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』、そして、伊坂幸太郎さんの『シーソーモンスター』に引き続いて手に取りました。初めての薬丸岳さんですが、これまで薬丸作品を原作とする気になる映画やドラマと出会っていて一度読んでみたいと思っていたので、興味深く読み始めました。

 

 

日本で起こる「海族」と「山族」の対立構造を描くプロジェクトのなかで、『蒼色の大地』はこれまでの二冊以上に両族の協調の可能性に軸をおいた作品だと感じました。灯、鈴、新太郎といったメインの登場人物たちの、同族へ一辺倒にはならない他族への協調的な態度。一方で、明らかな対立を生じさせているのが、実は統率するもの同士の私憤ともいえる狂気である事実。

本当に逃れらない対立などというものはどこにもなく、争いとは人間個人が自由意思の中で選び取ってしまった結果なのではないか。そしてまた、私たちが争いの強い渦に巻き込まれてしまうのも、その弱い意志故なのではないか。対立しなければならない運命などどこにもない、自らの意志で抗い続けるべきだ、という作者からの願いのようなメッセージを受け取った気がしました。螺旋プロジェクト以外の、本来の薬丸岳作品も読んでみたくなりました。

  • 2019.06.22 Saturday
  • 14:58

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

伊坂幸太郎『シーソーモンスター』

『小説BOC』1〜10号に連載された、8作家による競作企画「螺旋プロジェクト」の中の一作品。昭和後期「シーソーモンスター」と、近未来の「スピンモンスター」の二編が収録されています。平成を描いた朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』に続いて、2冊目の刊行です。

「螺旋プロジェクト」とは、次の3つのルールに従いながら、古代から未来までの、日本で起こる「海族」と「山族」の対立構造を描くプロジェクトで、伊坂幸太郎さんが呼び掛けたものなのだそうです。

  岾ぢ押廚函峪蛎押廖■欧弔亮鐶欧梁侘構造を描く

◆〜瓦討虜酩覆貌韻検岷れキャラクター」を登場させる

 任意で登場させられる共通アイテムが複数ある

『死にがいを求めて生きているの』同様、「シーソーモンスター」と「スピンモンスター」もそれぞれ一つの作品として読み応えがあるのですが、2冊を読んでみることで、ルールを念頭におくことで、作者ならではの独自性がより際立ってきて、競作ならではの面白さが加わるのだと実感しました。

 

 

伊坂幸太郎さんの作品について言えば、「対立」をいわゆる真正面からの「対立」として描かないところに、そのオリジナリティを感じました。対立は戦いを産むが、対立にも様々な形がある。目を背けずにどちらも存在するものとして受け入れることこそが、立ち向かうことであり、また、戦わずして対立を回避する術なのではないか…。もしかすると、私たちの日常のもがきとは、他者との対立を生まぬための努力が形を変えて現れ出たものなのではないか…、など、目の前の事象を前向きにとらえたくなりました。

と言いながら、「モンスター」という「正体の分からない恐ろしいもの」に対して、ある時は均衡を取ることもできれば、ある時はその回転の中に巻き込まれていく私たち。もしかしたら、私たち自身もまた、自分自身であり続けるために自らのスピードで回転し続けなければならない「モンスター」なのかもしれません。

伊坂さんと朝井さんの作品で見えてきた共通項が、他の作品ではどう繋がっていくのか。物語の背景となる「時代」を変えながら、「螺旋」というキーワードの中での歴史物語! 他の作品の中で、どんな答えが用意されているのか、気になって仕方がなくなってきました。

  • 2019.06.15 Saturday
  • 17:56

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

熊川哲也『完璧という領域』『メイド・イン・ロンドン』

「熊川哲也」というバレエ・ダンサーを知ったのは、高校生の時。「ローザンヌ国際バレエ・コンクール」のテレビ放送でした。コンクールには日本人も何人か出場していましたが、その踊りに魅了されてしまったのが熊川哲也さんでした。彼がもし日本の高校生だったなら同じ学年だということも手伝って、テレビを観ていた友人たちと金賞受賞を喜び、クラスメイトを呼ぶように勝手に「てっちゃん」「てっちゃん」と盛り上がっていたあの興奮を今でも覚えています。

 

 

金賞受賞後の熊川さんの活躍は、多くの人の知るところですが、二冊の自伝によって、さらに詳しく知ることができます。英国ロイヤル・バレエ団の退団時にあわせて、幼少時代から退団までを記したのが『メイド・イン・ロンドン』、その後のKバレエカンパニー設立から表現や創作の軌跡を記したのが、カンパニーの20周年にあわせて出版された『完璧という領域』です。

 

「完璧など存在しない」と人は言う。だがそれは失敗から目をそらしたり夢をあきらめたりするための言い訳にすぎない。たしかに作品を「完璧という領域」にまで到達させるには、ダンサーの心技体だけではなく、オーケストラやスタッフ、観客、劇場を含むすべてが最高の次元で調和しなければならない。それは奇跡のようなことかもしれない。

しかし「完璧という領域」はたしかに存在する。偉大な芸術はすべてそこで脈打っている。僕はつねにその領域を志向してバレエに関わってきた。  「はじめに」より

 

ダンサーとしてだけでなく、芸術監督、経営者、教育者として活躍をする熊川さんならではの、バレエへの拘り、芸術観、人生哲学などが、つきることのないバレエへの愛の中で述べられていきます。怪我からの復帰についても詳しく、20年前の『メイド・イン・ロンドン』の内容に固執せずに若い頃の自分を振り返りつつ、年齢を重ね、経験を積んだ今だから見えるもの、感じるものといった本音が書かれていて、清々しささえ感じます。「熊川哲也」個人はもちろん、総合芸術としてのバレエの魅力を存分に味わうことのできる一冊です。

 

〜余談〜

ミミズ鳴くぼくだってとべるかも

(当時)小学校3年の長男が、生まれて初めて観た熊川哲也さんの『白鳥の湖』ジークフリード王子の踊りに心動かされて詠んだ一句です。楽屋出を待つ小さい男の子に気づいてくれた熊川さんに喜んで、帰途「ぼくだってとべるかも〜♪」と熊川さんを真似てジャンプしていた姿が、今は懐かしい思い出です(笑)

  • 2019.06.08 Saturday
  • 16:55

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

阪田寛夫『土の器』

前回の大浦みずきさん関連の二冊に続き、今回は父・阪田寛夫さんの『土の器』を。本作は、第72回芥川賞受賞作「土の器」および、大浦みずきさんについて描かれた「ロミオの父」が収録されているとのことで手に取りました。

読んでみると、「音楽入門」−父、「桃雨」−祖父、「土の器」−母、「足踏みオルガン」−叔父(作曲家・大中寅二)、「ロミオの父」−娘(大浦みずき)という作者の家族を描いた作品集となっているところに驚きました。前回の内藤啓子さんのエッセイ『赤毛のなっちゅん』に家族関係が詳しかったこともあり、また、それぞれの作品に同一人物が繰り返し登場していくこともあって、作者の意図とは全く別のところで、私個人としてはエッセイを読んでいるのか…、小説を読んでいるのか…、煙に巻かれたような不思議な感覚で読み進めました。

 

 

末期がんの母が主人公の表題作「土の器」。厳格なキリスト教徒で、「目の前の些細なことに一喜一憂する当たり前の人間の気持というものを最初から認めず、厳しく拒む母」が、「痛み」から逃げ出さない決意で病気にのぞむ様子を、その母を真正面から受け止める家族たち(母とは別のキリスト教徒として描かれる嫂が魅力的です)と共に描かれていきます。

本文の記述、そして、題名から次の新訳聖書の一節に行き当たりました。キリスト教とご縁なく過ごしてきた私ですが、もろくて弱くてはかない私たち人間を、「土の器」としてとらえるこの一節を知ることで、より母が理解できた気がしました。

 

「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。しかし、わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものではないということが、あらわれるためである。わたしたちは四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても生き詰まらない。迫害にあっても見捨てられない。倒されても、滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。

コリント人への第二の手紙 4章6〜10節

(『新約聖書』日本国際ギデオン協会)

  • 2019.05.31 Friday
  • 23:10

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

大浦みずき『夢*宝塚』内藤啓子『赤毛のなっちゅん―宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに』

いきなり個人的な話ですが、中学校の修学旅行で宝塚歌劇を観劇してから、大学までの間(今考えればかなりな)宝塚ファンで、中でも、ファンクラブにも入りお茶会にも参加していたのが大浦みずきさん(愛称:なつめさん)という花組のトップスターさんでした。大学生の時にちょうどなつめさんの宝塚の退団があり、また私自身の就職や結婚など環境の変化で、それからはどんどん宝塚から離れる一方だったのですが、最近ひょんな懐かしいご縁があり、宝塚にドップリだった青春時代を思いだし、なつめさん関係の2冊を手にとってみました。

 

 

なつめさんの宝塚退団のタイミングで、パレットに連載されていたエッセイをまとめたのが『夢*宝塚』です。宝塚に入ると決心した時から、音楽学校時代、数々の舞台や怪我を経てトップスターになるまでの「青春自叙伝」。とにかく懐かしい! あの歌声が、宝塚屈指と言われていたなつめさんの抜群のダンスがよみがえってきます! 大昔、VHSテープがすり減るまで見ていた映像のいくつかを、ネット上で見つけてたびたび脱線。懐かしい読書でした。
なつめさんは、2009年11月、肺癌のために亡くなってしまわれます。なつめさんの生涯を姉の目から描いたのが『赤毛のなっちゅん』です。『夢*宝塚』に書かれていた宝塚生活はもちろん、退団後の活躍の様子や闘病生活の様子も淡々と描かれています。また、お父さまは、童謡「さっちゃん」で有名な芥川賞作家の阪田寛夫さんなのですが、なつめさんだけでなく、阪田寛夫さんやお母さまの、老いた生活の様子なども包み隠さず書かれていて、家族を真正面からひたむきに描き出そうとする書きぶりに心動かされました。遅ればせながら、なつめさんにお別れさせてもらえた、そんな一冊でした。

  • 2019.05.25 Saturday
  • 20:13

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』

第153回芥川賞受賞作。辞書的には「スクラップ・アンド・ビルド」とは、「老朽化したり陳腐化したりして物理的または機能的に古くなった設備を廃棄し、高能率の新鋭設備に置き換えること」。母と二人で、87歳の祖父の介護をする28歳の転職面接中の青年・健斗が主人公なのですが、何が「スクラップ」で、何が「ビルド」なのか、簡単に答えが出せるものではなく、何層にも仕掛けられている作品だと感じました。

 

 

「もう死んだらよか」と繰り返す祖父の願望を「本当の孝行孫」として叶えるべく、尊厳死をアシストしようとする健斗。日々自らの肉体を筋トレで鍛え上げ、よりよい肉体を再生し続ける健斗。中途採用面接と、行政書士の資格試験の勉強とを続けながら、人生を再構築しようとする健斗。

死に向かう祖父とは対局にある存在のような健斗ですが、弱っていく祖父が将来の自分の姿であるという苛立ちを払拭できない彼自身も描かれており、実は二人は対極ではないのではないか…、「スクラップ」され「ビルド」されるものとは…と考え込んでしまいました。祖父の戦争時代の話の真偽や、祖父の本当の願望、そして、結末で健斗が置かれた状況などなど…、結末そのものはとても明快に書かれているのですが、読者それぞれに様々な解釈が許されている作品でした。

  • 2019.05.18 Saturday
  • 20:08

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

長嶋有『猛スピードで母は』

芥川賞受賞の表題作と文學界新人賞受賞の「サイドカーに犬」の二編収録。

前者は、小5〜6の慎と潔いまでにあっけらかんと真っ直ぐにいきる母との二人の生活。後者は、母の家出をきっかけに始まった小4の薫と父の愛人・洋子さんと共同生活。どちらも小学生ならではの眼差しで見つめる大人の世界と、彼らの成長を描いた作品です。また、どちらも親の離婚や結婚不倫といった背景を持つ作品なのですが、小学生が眺める女性たち(母と愛人)の大胆さやブレないかっこよさも影響しているのでしょう、背景に似合わない清々しさを感じさせるのも特徴です。

 

 

「猛スピードで母は」での、母の恋人とのやりとりも絡めながら、母に「置き去りにされ」る可能性をも受け入れ、また自分の存在が母に与える影響を知り、いじめに立ち向かうまでに静かに成長する慎の姿は、母の猛スピードで好きなワーゲンの列をぐんぐん抜き去っていく最後の象徴的な場面と共に、読者に解放感を与えてくれます。

「サイドカーに犬」は、「盗み」というキーワードを中心に置くと様々に考えさせられる作品で、物品の盗みだけでなく人の心や生活の盗みなど様々な盗みが出てきます。薫自身が「飼われている」と感じる心地よさをくれる洋子さんは、本当に盗む側でしかないのか。一体誰が被害者で加害者なのか。大人になった薫の選ぶその先が意味深です。

  • 2019.05.11 Saturday
  • 18:24