Categories

Calender

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2019 >>

Recent Entries

Archives

w closet×JUGEM

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』

朝井リョウさんの新刊は、『小説BOC』1〜10号に連載された、8作家による競作企画「螺旋プロジェクト」の中の一作品。3つのルールに従いながら、古代から未来までの、日本で起こる「海族」と「山族」の対立構造を描くプロジェクトの「平成」編が、『死にがいを求めて生きているの』です。もちろん、本作もプロジェクトのルールの中で物語は進んでいくのですが、やはり朝井リョウ色は顕著で、平成に生きる人々を描きながら、何らかの対立の中から逃れられない人間存在というものが、哀しくも静かに激しく、また希望の眼差しでもって描かれていきます。

 

(写真は中央公論新社HPより)

 

ちょっとした違いが溝を産み、そして集団を作り、生まれていく対立、そして大きくなっていく争い。個人個人の日常の生活では、全く関係の無いと思えるような「対立」が,、実は常に私たちの身近にあることにハッとさせられます。

自己存在を示すために敵を作りながら生きていく堀北雄介と、人を分断しない生き方をしたいと願う南水智也。

二人の身近にいる人々、そして、智也自身の視線から、二人が何層にも描き出されていくのですが、最終的に書かれずに終わるのが雄介視点の物語です。破壊的な側面ばかりが浮かび上がってくる雄介ですが、あえて、強硬さの裏に隠れている誰よりも傷つきやすい雄介の物語が書かれないことによって、結末の智也の物語の中での、弱さを受け入れる強さをもった智也の「絶対」という言葉が予感させる力が際立ってくるように感じます。

「死ぬまでの時間を生きていい時間にしたい」雄介とは、この世に存在し続ける対立の円環から逃れられない私たち読者自身でもあるのでしょう。読者はそれぞれに、その後雄介に用意されるだろう甘くはない救済の物語を想像すると共に、螺旋のように続く対立の連鎖の中に生きる読者たちへの作者からの祈りにも似たメッセージを受け取るのに違いありません。

 

 

この後、7月まで螺旋プロジェクト作品は続々と刊行予定のようです。各作品で「海族」と「山族」の対立構造から何が描き出されているのか。また、それぞれにどう繋がっていくのか。読み比べることによって、よりそれぞれの作者の色が見えてきそうです。

  • 2019.03.17 Sunday
  • 16:25

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

沼田まほかる『ユリゴコロ』

1月に紹介した沼田まほかるさんの作品『彼女がその名を知らない鳥たち』が、単なるミステリーに留まらず、綺麗事ではおさまらない人間たちを丁寧に描いていて、なかなか興味をひかれたので、再度彼女の作品を手にとってみました。

殺人に取り憑かれた人間の、これまでの生々しい殺人を告白したノート「ユリゴコロ」を巡る物語で、ノートを見つけた亮介を主軸に、ノートの内容が明かされると同時に、彼を取り巻く人間関係のありようがオセロのようにひっくり返されていく驚きのミステリーです。

 

 

書名でもある「ユリゴコロ」は、ノートの著者が“心の寄り何処”というような意味で使った言葉です。初めは殺人が唯一の心の拠り所であるという意味の「ユリゴコロ」でしかないのですが、物語が進むに従って読者は、それぞれの登場人物たちの人を愛することを生きる拠り所とする「ユリゴコロ」を見せられてしまっている作品となっていきます。血なまぐさい殺人がいくつも織り込まれながらも、読後感にそれほど後味の悪さを感じないのは、人を愛することを「ユリゴコロ」とする登場人物たちを、読者が嫌悪しきることができないからなのでしょう。数々の殺人が社会的に罰せられないところに物足りなさを感じる読者もいるかもしれませんが、(『彼女がその名を知らない鳥たち』も罰のない作品だったこともあり、)作者にとっては、無償の愛や許しのようなものを描くことが主眼なのかなと感じました。

『ユリゴコロ』は2017年に映画になったようですが、原作にかなりアレンジが加えられているとかいないとか…。さて、どう料理されているのか…、そちらも観てみたくなりました。

  • 2019.03.09 Saturday
  • 11:14

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

チョン・セラン『アンダー、サンダー、テンダー』

『今、何かを表そうとしている10人の日本と韓国の若手対談』の、朝井リョウさんとチョン・セランさんの対談でも取り上げられていた作品です。オビには、「隣国の小説家が描き出す、少年少女の両目に写り得るもののすべて。その世界の手触りに、ここめで共鳴するとは。」との朝井リョウさんの推薦文が載せられています。

訳者・吉川凪さんのあとがきに、「アンダー、サンダー、テンダー」というタイトルに込めた意味を作者に尋ねた答えが載せられていました。

アンダーエイジとは、資質や才能、癒すべき傷、優れていたり、劣っていたりする部分がまだはっきり表に現れていない年齢のことです。自分なりの何かを見つけようと挫折を繰り返すアンダードッグ(負け犬)のようなニュアンスもあります。サンダーエイジは、私のつくった言葉で、文字通り稲妻のような年頃です。十代で経験することはすべてにおいて圧倒的であり、音楽も十代で聴けば切実に感じられるし、雨に降られても体中の細胞がすべて反応するような気がするでしょう。そんな感覚の強烈さをサンダーと表現してみました。テンダーエイジは、あまりにも優しく柔軟でまだ固まっておらず、また自らを守れる年齢ではないために社会の暴力に無防備にさらされている十代を表した言葉です。

 

 

作品は、タイトルの解説にあるような十代の人間関係や出来事が真ん中に据えられているものの、十代がそのまま描かれて完結するのではなく、三十代となった主人公が十代の日々を振り返るという趣向です。また、主人公を取り巻く登場人物たちの群像劇ともなっていて、これまた大人になった彼らも登場してきます。唐突に挿入されていく、主人公(最終的に短編映画監督となる)の彼らを撮影した断片的動画の場面は、読み終わった読者にとっては、もう一度振り返らずにいられないものとなります。動画部分を通して追っていくと、今を生きる彼らが生き生きと立ち上がってきて、胸があつくなるという作りも劇的です。

失うことが全てであるかのような、何も手に入れられるものなどないような十代を送った主人公たちが、そんな現実の中にありながらも、自分自身として生きていく大人となっていく。何らかの形で周囲の人が関わることでしか人の一歩一歩はないのだな…と感じさせられる作品でした。

  • 2019.03.02 Saturday
  • 13:26

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

寺山修司『あゝ、荒野』

2017年公開の菅田将暉とヤン・イクチュンのW主演の映画『あゝ、荒野』の原作本が、寺山修司唯一の長編小説だと知り、迷わず手に取りました。

映画は、綺麗ごとでは済まされない現実を、暴力的といえる様々な要素を盛り込んだ設定の中で、俳優陣たちがリアルに演じた前後篇5時間の大作でしたが、それ故メッセージも多く、物語の収拾の仕方や解釈に考え込まされ、それがまた魅力の一つでもある作品でした。

 

 

原作の結末はまさに映画と同じですし、映画の背骨になったと思われる「誰かに責任をのこして、そいつとの結びつきのなかで死にたい」というメッセージもしっかり書かれているのですが、印象は少し違っています。当時流行の歌謡曲の一節や小説や詩のフレーズなどを散りばめられた原作は、あとがきにも「登場人物がどう動いてゆくか」を「即興描写で埋めて」いったとあるように、寺山自身が流れの中で登場人物を自由に動かし、私たち人間(読者)の、「荒野」(という現実)に生きるナマの感覚を呼び覚まそうとしているかのように感じました。映画では驚きで受けたとめた結末が、原作ではよりもの哀しいものに感じられたのも、呼び覚まされたナマの感覚のせいかもしれません。また、各章の初めにおかれた寺山修司の短歌も象徴的で、ストーリーとの距離感が絶妙です。

映画ならではの、登場人物の設定の変更や、作り込まれたエピソードの数々は、岸善幸監督が原作から受けとったナマの感覚で解釈し生み出された新しい「荒野」の世界だったのだな、と改めて感じました。

  • 2019.02.23 Saturday
  • 15:08

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

米澤穂信『さよなら妖精』

前々回、前回と、フリージャーナリスト「太刀洗万智」を主人公とする作品を読んでくると、書籍に初登場する高校生の彼女が気になって仕方が無くなってしまいました。というところで、引き続き米澤穂信さんの『さよなら妖精』です。

『さよなら妖精』は、「ボーイ・ミーツ・ガール・ミステリ」で、太刀洗万智はヒロインでもなく、準主役といった立ち所です。作品としては、日本を去ったヒロイン・マーヤの所在をつきとめようとする大きなミステリーを主軸に、彼らが日常で出会った些細な謎を解いていく(小さなミステリ−?)が散りばめられています。そして、それらの謎と立ち向かう高校生の主人公たちの中で独特の存在感と、探偵的心眼を持つ魅力的な人物として描かれているのが太刀洗万智です。

 

 

前回の『真実の一〇メートル手前』のあとがきの中で作者が、「正義漢」という作品が、『さよなら妖精』の太刀洗万智を大人にした物語を「時間も準備もない中でふと思いついた」ものであり、そこから記者太刀洗万智の作品群が生まれていったという経緯を書いていましたが、『さよなら妖精』を読み、ヒロインでもないのに際立つ太刀洗万智の存在感に触れてしまうと、限られた時間しかない作者が、ふと彼女を書きたくなったのは必然だったのだなと納得させられました。

そしてまた、『真実の一〇メートル手前』の「正義漢」と「ナイフを失われた思い出の中に」が、いかに『さよなら妖精』ファンを喜ばせるもので、作者の読者サービスであったかにも驚かされました。偶然に『王のサーカス』→『真実の一〇メートル手前』→『さよなら妖精』の順で出会った太刀洗万智でしたが、出会い方としてはベストの順番だった気がしています(笑)

  • 2019.02.16 Saturday
  • 17:07

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

米澤穂信『真実の一〇メートル手前』

前回の『王とサーカス』に引き続いて、フリージャーナリストになった太刀洗万智の短編集です。冒頭の表題作のみ新聞記者時代の物語でしたが、実はこの作品は『王とサーカス』の前日談として、長編の劈頭に置くつもりで生まれた作品だそうで、将来的にフリーランスならではの謎解きをする記者となっていく太刀洗万智が、その道を辿ることが必然であったことを思わせる一人称の小説となっていて、新聞記者時代の物語であることに違和感はありません。

 

 

全6編共に、太刀洗万智の探偵的心眼が一番の魅力の作品群で、その謎解きの見事さはホームズら名探偵を彷彿とさせるものがあり、どれも面白い!しかも、それぞれの物語の終着点が、謎解きの面白さではないところにあり、彼女の記者としての生き様が浮かび上がってくるのも、本短編集の特徴的なところです。前作で、サーカスの座長にはならないと決意した彼女は健在であるばかりか、さらに凄みを増していきます。また、それぞれの短編で、彼女らしさを引き出してくる人物が一辺倒でない形で設定されているのも、読者をあきさせません。

6編の中で、フリージャーナリストとしての太刀洗万智を最も印象づける作品は「ナイフを失われた思い出の中に」です。彼女の記者としての選択に驚くだけでなく、作者が彼女を主人公とした短編集で目指すところが示されているようで、腹にズドンとこたえます。これは高校生の彼女が始めて小説に登場した『さよなら妖精』と繋がりがある作品のようなので、この流れで高校生の太刀洗万智に出会いたくなりました。

  • 2019.02.09 Saturday
  • 15:26

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

米澤穂信『王とサーカス』

同僚イチオシのミステリーは、米澤穂信さんの長編。

ミステリー的謎解きの面白さはもちろんですが、個人的には、ジャーナリストとして独り立ちしていく太刀洗万智の物語としての面白さの方に興味を引かれました。

新聞社を辞め、雑誌の海外旅行特集の事前取材で訪れたネパールで、偶然にも王族殺害事件(※)が勃発し、急遽取材することになった主人公ですが、面白くなってくるのは、取材を重ねていく彼女が、自分の記者としての使命を自問自答し始める中盤からです。そこでは、丁度題名の「サーカス」につながる、大きな問いが太刀洗に突きつけられます。それは奇しくも殺されることとなる男・ラジュスワルが、彼女に投げかけたものでした。

ラジュスワルは、情報をほしがる大衆を「刺激的な最新情報を待っている人々」と言い、大衆にとって「自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ」と言い放ちます。そして、「お前はサーカスの座長だ。おまえの書くものはサーカスの演し物」であり、「悲劇が楽しまれる宿命」にあると指摘します。

 

 

本作の謎解きは、王族殺害事件を背景にしながら、その事件下に起きたラジュスワル殺人事件にまつわる人間模様を解くところにあるのですが、サーカスの団長にならないよう自らの意志で立つ「ジャーナリスト太刀洗」の誕生をひもとく物語でもありました。そしてまた、センセーショナルな記事を求める一般大衆の果たしている役割についても考えさせられた作品でした…。一体、どちらが踊り踊らされているのだろう…と…。

こうして誕生したフリージャーナリスト太刀洗万智が、この後どのような記者となっていくのか、『真実の一〇メートル手前』という短編集になっているようなので、ぜひ手に取ってみたいと思っています。


※「王族殺害事件」(ナラヤンヒティ王宮事件)−2001年6月1日にネパールの首都カトマンズ、ナラヤンヒティ王宮で発生した、当時の国王一家が皆殺しにされた事件。皇太子(事件3日後に死亡)が犯人とされたが、生き残って事件後に即位した国王の弟の動向などから、彼が行ったクーデターとする説もある。真相は現在も不明のまま。

  • 2019.02.02 Saturday
  • 14:45

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

沼田まほかる『彼女がその名を知らない鳥たち』

蒼井優主演の映画『彼女がその名を知らない鳥たち』は、そのコピー通りの「共感度0%、不快度100%」の「最低な女と男」のオンパレードで、それを演じる俳優さんたちの演技におののき、また賞賛しながら、「まぎれもなく愛の物語」としてのラストに衝撃をうけた作品でした。このあとの主人公はどうなるのか…、この結末は彼女の救いになっているのか…。ラストの解釈に悩んで手に取った原作本でした。

 

(写真は映画ポスターより)

 

原作では、主人公北原十和子と十和子から見た佐野陣治が丁寧に描かれていきます。二人が最低な人間なのは映画と変わらないのですが、十和子が陣治を嫌悪し、疑心暗鬼にかられながらも、彼から離れられない何かを抱いている様子が丁寧に書き込まれていきます。そして、執拗に出てくる象徴的なカラスの描写。もちろん、ラストの展開は同じなのですが、原作本を、十和子と陣治の物語として読んでいくと、その後の十和子の人生や、題名の「鳥たち」の意味が、やっと腑に落ちた気がしました。

 

 

(以下ネタバレありです)

陣治の死という、現実の生活の中で確かにそこにあった愛を手離すことでしか得られない「究極の愛」。しかし、宙ぶらりんに生きてきた十和子にとっては、この愛による解放が唯一の救いだったのかもしれません。子どもを産むことへの執着を持っていた十和子に、「俺を産んでくれ」と生きる道を遺していった陣治。ラストで滑空するように虚空へ迷い込んでいった陣治は、彼女をカラスたちから解放する鳥であり、また、「たった一人の十和子の恋人」として、十和子の一生の終わりまで内部を落下し続ける鳥となったのでしょう。

  • 2019.01.13 Sunday
  • 18:27

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

『今、何かを表そうとしている10人の日本と韓国の若手対談』

日韓国交正常化50周年にあたる2015年から3年間にわたって行われたプロジェクト「日韓若手文化人対話―ともに語り、考えを分かち合う」の記録です。20代から40代前半の「今、何かを表そうとしている」クリエイター5組10人が、日本と韓国を行き通いながら行われた2度の対談の様子と、対談前後に交わした手紙が収録されています。

西川美和(映画監督)× ムン・ソリ(女優/映画監督)

寄藤文平(グラフィックデザイナー)×キム・ジュンヒョク(小説家)

光嶋裕介(建築家)×アン・ギヒョン(建築家)

朝井リョウ(小説家)×チョン・セラン(小説家)

岡田利規(演劇作家)×キ・スルギ(アーティスト)

 

 

映像、アート、文学、建築、演劇…各分野の若手文化人の対談は、日韓の歴史問題などには一切触れることなく、それぞれが“今表そうとしている何か”について純粋に語り合っていきます。もちろん、文化の違いによる表現や発想方法の相違なども見えてくるものの、それ以上に、純粋に表現し続けるクリエーターとしての共通点の方が、読者には強烈な印象を残していきます。

また、携わっているジャンルによって、個人で作品を表したり(アートや小説)、人との関わりの中で自分の役割を果たして表したり(建築や映画や演劇)と、それぞれの立ち位置や考え方の違いや、完成の仕方の違いが詳らかにされていくのも大変興味深いところです。それぞれのクリエイターの拘りがたいへん面白く、読みどころです。一口に「表現」と言っても様々であることを、5つの対談によって様々な角度から眺めることができる一冊です。

朝井リョウさんと対談した、チョン・セランさんの『アンダー、サンダー、テンダー』はすぐに手に取ることのできそうなので、未知の領域だった韓国文学に触れてみたくなりました。

  • 2019.01.05 Saturday
  • 19:19

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

三島由紀夫『音楽』

精神分析医・汐見和順の手記という体裁を取る本書。「序」で、この手記が「女性の性の問題に関する、徹底的に無遠慮な」もので、「女性読者に反感を催さしめる」かもしれない、と「読者に注意を喚起」すると共に、文学作品とは違ったアプローチをとりながら、「人間性というものの底知れない広さと深さ」にいたるものであると断っています。初っ端から読者は、小説ではないのか(?)…と煙に巻かれた気分になりながら、いやいやそうは言っても…と、三島作品に期待してしまう、という絶妙な始まりが用意されています。扉には、汐見和順述「音楽 精神分析における女性の冷感症の一症例」とのタイトルが示され、読者を迎え入れます。

 

 

美貌の主人公、弓川麗子。彼女の冷感症という悩みと治療中の様子、汐見に送ってくる(対面した時とは印象を変える)手紙など、読み始めは、谷崎潤一郎の妖婦に似たものを思わせるものでした。そこに、彼女に翻弄される登場人物たちが加わっていき、恋人を愛せない彼女の現実、そして、兄との近親相姦…と、目の離せない展開が続いていきます。真実に行き着いたと思ったらまた別の真実らしきものへと、麗子が冷感症を克服するための真相は常に変化し続けていき、まるでサスペンスのような趣に…。その頃から読者は、谷崎的な妖婦らしさではなく、三島の描こうとしている女性心理の方にすっかりひきつけられてしまいます。

では、「音楽」の象徴するものとは…。なぜ「音楽」なのか…。一番のお楽しみは本編を読んでいただくくとして、精神分析用語をふんだんに取り入れながら、印象的な登場人物たちと、気の抜けないストーリー展開で読ませる作品でした。サスペンス的に読者をひきつけてきた割には、最後の1ページが…という思いも若干残りましたが、それは分析医の手記ですから…という落とし所なのでしょう。扉と結末を手記テイストにして淡々と描いた作品のようなに粧いながら、やはり中身は三島由紀夫作品ならではの、面白さと意外性に満ちていました。まさに、主人公麗子そのもののような小説と言えるのかもしれません。

  • 2018.12.29 Saturday
  • 08:57