Categories

Calender

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< June 2019 >>

Recent Entries

Archives

w closet×JUGEM

実践報告・お便り

生涯教育として「はじめての俳句」講座

nhkk会員の佐東亜阿介さんより、あおもり県民カレッジのボランティア自主講座「はじめての俳句」の報告が届きました。

 

 

俳句初心者の方用にとご準備されたパワーポイントもお送りいただきました。

下の画像をクリックすると以下の詳細内容がご覧いただけます。

 

1.オープニングクエスチョン
2.投句先のご紹介
3.必要な準備品とは
4.俳号を考えよう
5.クイズ
6.実作・・・尻から俳句
7.十二音日記の勧め
8.参考図書紹介

 

ぜひ参考になさってください。

 

(画像をクリックすると詳細内容がご覧いただけます)

 

一緒にお送りいただきました受講生の初めての俳句もご紹介!


夏の夕静かな部屋にひとりきり 市川夏和
蝉しぐれ草取りの後風とおる  市川夏和


「今後は俳句ポストなどへの投句も行って戴けるかもしれません」とのこと。

無料で参加できるボランティア講座からはじまる俳句の輪が、ますます広がっていきますように!

佐東亜阿介さん、ご報告ありがとうございました。

  • 2019.06.16 Sunday
  • 10:00

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

伊坂幸太郎『シーソーモンスター』

『小説BOC』1〜10号に連載された、8作家による競作企画「螺旋プロジェクト」の中の一作品。昭和後期「シーソーモンスター」と、近未来の「スピンモンスター」の二編が収録されています。平成を描いた朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』に続いて、2冊目の刊行です。

「螺旋プロジェクト」とは、次の3つのルールに従いながら、古代から未来までの、日本で起こる「海族」と「山族」の対立構造を描くプロジェクトで、伊坂幸太郎さんが呼び掛けたものなのだそうです。

  岾ぢ押廚函峪蛎押廖■欧弔亮鐶欧梁侘構造を描く

◆〜瓦討虜酩覆貌韻検岷れキャラクター」を登場させる

 任意で登場させられる共通アイテムが複数ある

『死にがいを求めて生きているの』同様、「シーソーモンスター」と「スピンモンスター」もそれぞれ一つの作品として読み応えがあるのですが、2冊を読んでみることで、ルールを念頭におくことで、作者ならではの独自性がより際立ってきて、競作ならではの面白さが加わるのだと実感しました。

 

 

伊坂幸太郎さんの作品について言えば、「対立」をいわゆる真正面からの「対立」として描かないところに、そのオリジナリティを感じました。対立は戦いを産むが、対立にも様々な形がある。目を背けずにどちらも存在するものとして受け入れることこそが、立ち向かうことであり、また、戦わずして対立を回避する術なのではないか…。もしかすると、私たちの日常のもがきとは、他者との対立を生まぬための努力が形を変えて現れ出たものなのではないか…、など、目の前の事象を前向きにとらえたくなりました。

と言いながら、「モンスター」という「正体の分からない恐ろしいもの」に対して、ある時は均衡を取ることもできれば、ある時はその回転の中に巻き込まれていく私たち。もしかしたら、私たち自身もまた、自分自身であり続けるために自らのスピードで回転し続けなければならない「モンスター」なのかもしれません。

伊坂さんと朝井さんの作品で見えてきた共通項が、他の作品ではどう繋がっていくのか。物語の背景となる「時代」を変えながら、「螺旋」というキーワードの中での歴史物語! 他の作品の中で、どんな答えが用意されているのか、気になって仕方がなくなってきました。

  • 2019.06.15 Saturday
  • 17:56

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

熊川哲也『完璧という領域』『メイド・イン・ロンドン』

「熊川哲也」というバレエ・ダンサーを知ったのは、高校生の時。「ローザンヌ国際バレエ・コンクール」のテレビ放送でした。コンクールには日本人も何人か出場していましたが、その踊りに魅了されてしまったのが熊川哲也さんでした。彼がもし日本の高校生だったなら同じ学年だということも手伝って、テレビを観ていた友人たちと金賞受賞を喜び、クラスメイトを呼ぶように勝手に「てっちゃん」「てっちゃん」と盛り上がっていたあの興奮を今でも覚えています。

 

 

金賞受賞後の熊川さんの活躍は、多くの人の知るところですが、二冊の自伝によって、さらに詳しく知ることができます。英国ロイヤル・バレエ団の退団時にあわせて、幼少時代から退団までを記したのが『メイド・イン・ロンドン』、その後のKバレエカンパニー設立から表現や創作の軌跡を記したのが、カンパニーの20周年にあわせて出版された『完璧という領域』です。

 

「完璧など存在しない」と人は言う。だがそれは失敗から目をそらしたり夢をあきらめたりするための言い訳にすぎない。たしかに作品を「完璧という領域」にまで到達させるには、ダンサーの心技体だけではなく、オーケストラやスタッフ、観客、劇場を含むすべてが最高の次元で調和しなければならない。それは奇跡のようなことかもしれない。

しかし「完璧という領域」はたしかに存在する。偉大な芸術はすべてそこで脈打っている。僕はつねにその領域を志向してバレエに関わってきた。  「はじめに」より

 

ダンサーとしてだけでなく、芸術監督、経営者、教育者として活躍をする熊川さんならではの、バレエへの拘り、芸術観、人生哲学などが、つきることのないバレエへの愛の中で述べられていきます。怪我からの復帰についても詳しく、20年前の『メイド・イン・ロンドン』の内容に固執せずに若い頃の自分を振り返りつつ、年齢を重ね、経験を積んだ今だから見えるもの、感じるものといった本音が書かれていて、清々しささえ感じます。「熊川哲也」個人はもちろん、総合芸術としてのバレエの魅力を存分に味わうことのできる一冊です。

 

〜余談〜

ミミズ鳴くぼくだってとべるかも

(当時)小学校3年の長男が、生まれて初めて観た熊川哲也さんの『白鳥の湖』ジークフリード王子の踊りに心動かされて詠んだ一句です。楽屋出を待つ小さい男の子に気づいてくれた熊川さんに喜んで、帰途「ぼくだってとべるかも〜♪」と熊川さんを真似てジャンプしていた姿が、今は懐かしい思い出です(笑)

  • 2019.06.08 Saturday
  • 16:55

事務局レポート

愛知県立大府東高等学校・句会ライブ

松山を修学旅行で訪れている愛知県立大府東高等学校の皆さん。希望のコースに分かれての愛媛体験の一日です!

「松山はいく吟行体験コース」は、松山はいくのガイドの方から、簡単に俳句を詠めるようになるとっておきの「コツ」を習い、一緒に歩きながら俳句を詠んで、句会ライブに参加するコース。今日は、坂の上の雲ミュージアムや松山城を散策して詠んだ俳句が揃いました。

句合わせを勝ち抜いた優勝は、「坂の上の雲」を彷彿とさせる季語「雲の峰」にこだわって、正岡子規や夏目漱石といった「詩家」に思いをはせた句に!

 

 

また、松山城の天守閣で感じたすがすがしい風の句には皆の共感が集まりましたし、ガイドの方から教わった「切り込みハギ」という石垣の積み方をサラリと詠み込んだり、旅行で出会った砥部焼の風鈴を五十という数詞と共に詠んだ句や、修学旅行ならではの、瀬戸内の潮の匂いを感じる句に人気が集まりました。

その他にも、オノマトペの面白い句がいくつも出てきたり、青春ならではの友との旅を詠んだ句や、うまくいかないもどかしい青春を笑い飛ばすような「放屁」を詠み込んだ句など、ユニークな句が並びました。

 

 

決勝の句や入選句を大短冊に書いていたのですが、解散後「記念に!」とほとんどの生徒さんが持って帰ってくれたのも嬉しいビックリでした! 修学旅行での一つ一つを大切にしている生徒さんたちとの気持ちの良い時間でした。

  • 2019.06.06 Thursday
  • 19:41

備忘録〜個人的・書籍の感想〜

阪田寛夫『土の器』

前回の大浦みずきさん関連の二冊に続き、今回は父・阪田寛夫さんの『土の器』を。本作は、第72回芥川賞受賞作「土の器」および、大浦みずきさんについて描かれた「ロミオの父」が収録されているとのことで手に取りました。

読んでみると、「音楽入門」−父、「桃雨」−祖父、「土の器」−母、「足踏みオルガン」−叔父(作曲家・大中寅二)、「ロミオの父」−娘(大浦みずき)という作者の家族を描いた作品集となっているところに驚きました。前回の内藤啓子さんのエッセイ『赤毛のなっちゅん』に家族関係が詳しかったこともあり、また、それぞれの作品に同一人物が繰り返し登場していくこともあって、作者の意図とは全く別のところで、私個人としてはエッセイを読んでいるのか…、小説を読んでいるのか…、煙に巻かれたような不思議な感覚で読み進めました。

 

 

末期がんの母が主人公の表題作「土の器」。厳格なキリスト教徒で、「目の前の些細なことに一喜一憂する当たり前の人間の気持というものを最初から認めず、厳しく拒む母」が、「痛み」から逃げ出さない決意で病気にのぞむ様子を、その母を真正面から受け止める家族たち(母とは別のキリスト教徒として描かれる嫂が魅力的です)と共に描かれていきます。

本文の記述、そして、題名から次の新訳聖書の一節に行き当たりました。キリスト教とご縁なく過ごしてきた私ですが、もろくて弱くてはかない私たち人間を、「土の器」としてとらえるこの一節を知ることで、より母が理解できた気がしました。

 

「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。しかし、わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものではないということが、あらわれるためである。わたしたちは四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても生き詰まらない。迫害にあっても見捨てられない。倒されても、滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。

コリント人への第二の手紙 4章6〜10節

(『新約聖書』日本国際ギデオン協会)

  • 2019.05.31 Friday
  • 23:10